| [検索エンジンで飛んで来た方へ]このコーナーはアニメ「セーラームーンS」のファンページに過ぎません。セーラームーンS以外の分野の参考文献としては全く役立ちません。閲覧するだけ、時間の無駄です。 |
| 海王みちるはバイオリニストであると同時に、若手の天才画家という一面をもつ。「世界の終末」と題された油絵の大版画は、みちるが夢で見る「地球の未来の姿」の幻視を描いたものである。 この絵から推測する限り、みちるは印象派、特にドガの絵に強い影響を受けている。根拠としては、次の3つが挙げられる。 (1)幻視ではあるが風景が主題とされていること。 (2)光の変化を明暗の調子に頼らず、色彩だけで表現していること。 (3)絵の具の盛り上げが効果的に行われていること。 これらは、印象主義の特徴に一致する。 注目すべきことは、モチーフとした幻視の風景である。モチーフの選択は、描く者の心情的な興味の中心がどこにあるのかを明確にする行為である。みちるの場合、興味の中心は大都会を呑みこむ大波にあった。迫り来る波の迫力は、「世界の破滅」に対する鮮烈な恐怖を表している。ただ、アニメの中で現実に訪れた「世界の破滅」は大津波によるものではなかった。それならば何故みちるの心の中に、モチーフとなった幻視が見えたのだろうか。 疑問を解決する手がかりとして、彼女が戦士として使う力のタイプが注目される。「海王みちる」は、その姓からもわかるように、海の波を利用した攻撃を多く行う。このことから、彼女が描いた大波は、戦士としての使命「世界を破滅から救う」をまっとう出来ないかも知れないという強い不安を象徴したものであると気づく。その不安が非常に強いものであることを、筆のタッチの強さが物語っている。アニメでは、このキャラが心情を吐露するシーンは非常に少ない。パートナーである天王はるかに対してのみ、唯一情緒的な側面を見せるのみである。これは、このキャラの社交性が災いしているための挙動であると考えられる。そこで、キャラが制作した芸術作品を登場させることで心の不透明な部分を可視できるようにしたのであろう。キャラ表現においてこの方法は成功だったと思われる。 ただ、ここで気になるのは音楽と美術という二ジャンルにおいて才能があることが、キャラの形成にどのように影響を及ぼしているかという点である。同じ芸術分野ではあるが、楽器とキャンバスでは自己表現の方法もかなり異なるはずだ。みちるがバイオリンを弾くとき、その傍には必ず聴衆がいる。自身でバイオリンの音色を楽しみながらも、誰かに聴いてもらうことで自己表現の確かな満足感を得る。一方、絵を描くときは自室にこもって、連日徹夜をして絵を仕上げている。絵を描きあげたみちるは、疲労に満ちた顔で、自分の心を極限まで追い詰めたような憔悴ぶりを感じさせる。彼女の芸術に取り組む姿勢は、音楽では開放的、娯楽的であるのに対して、美術では閉鎖的、抑圧的、自虐的であり、全く正反対である。全く違う自己表現方法を両立させることは出来るのだろうか。普通ならば、どちらか一つに取り組むだけで精一杯のはずだ。 もしも二ジャンルとも才能を開花させるのならば、長く生きて多くの人生経験を積む必要があるだろう。実例として、舞台アーティストをしながらも、50歳を越えてから音楽大学に入り、声楽(オペラ)を修めた日本人女性がいる(氏名失念)。彼女は某ピアニストが司会をするNHK音楽番組(TV)でゲスト出演し、次のような興味深いコメントを述べた。"「舞台アーティストとしての仕事と声楽は、自分にとって全く違う表現領域なのです。声楽から美術の仕事に対するヒントを得ることはなく、その逆も然りです」"(一部改変) コメントから、音楽と美術はそれぞれ独立した表現方法であり、二つは完全に両立し得るものであることがうかがえる。また、お互いのジャンルが影響を及ぼしあうことはない、と言い切れる彼女は、非常に強い精神力の持ち主で器量が大きい人間、という印象を我々に与える。海王みちるもこの舞台アーティストと同様に大きな器量をもち、芸術の二ジャンルに取り組んでいるものと思われる。しかし、みちるの年齢設定は15歳と非常に若い。若いながらも二つの自己表現方法を巧みに使い分け、才能を遺憾なく発揮している。これは、彼女にキャラとして、早熟さ、神秘性を付加している。 |
| [序章][第1章][第2章][第3章][第4章][第5章][第6章][第7章][総論][あとがき][参考文献] [このページの先頭へ][海王みちる研究[目次]][アニメ研究目次ページに戻る][トップページに戻る] |