| [検索エンジンで飛んで来た方へ]このコーナーはアニメ「セーラームーンS」のファンページに過ぎません。セーラームーンS以外の分野の参考文献としては全く役立ちません。閲覧するだけ、時間の無駄です。 |
| アニメS編以降の背景考察3『ボディートーク・装飾具・オブジェとはるか&みちる』 3−1.手に始まり、手に終わる[メモ転載日:2002.10.29 最終修正日:2004.3.23] 重要な場面では、何故か必ず“手”が出てくる。非重要な場面でも、二人の関係を象徴する手段として何故か“手”が多用されている。以下、ざっと関連シーンを振り返ってみたい。 ---------------------------------------------------------------------------------- [非重要] 1.アニメS第95話『恋のおたすけはムーンにおまかせ』。 愛情度コンテストの一場面。目の前に数個出された手の中から、はるかさんはみちるさんの手をすぐに判別。正解。ボックスから出てきたみちるさんの顔は、余裕と満足に満ちたものだった。 ↓ [重要] 2.アニメS106話『運命のきずな!ウラヌスの遠い日』 H「腕を怪我したら、バイオリニストになれないじゃないか。」 はるか、ネプチューン(みちる)の腕の怪我を気遣う。はじめて相手のことを気遣った発言をする。それを聞いてネプチューン(みちる)は語らないはずだった己の心内を語り始め、涙を見せる。腕≒手。 ↓ [最重要] 3.アニメS編第110話『ウラヌス達の死? タリスマン出現』。 H「…(どうせこの手は汚れている)。」 はるか、自分の手のひらを見つめる。みちる、その手をとって、自らの手を絡める。 M「大丈夫よ、はるか。私はあなたの手が好きよ。」 みちる、微笑む。はるか、驚いたような顔をする。 ↓ [重要] 4.アニメS編第125話『輝く流星!サターンそして救世主』 聖杯がミストレス9の手に渡り、ファラオ90が地球に降臨し始めたとき。巨大な銅像の左太ももに巻きつけられていたU&Nは、ファラオ90が地球に接近したときの爆風で、割れる銅像と共に吹き飛ばされる。世界は、もうすぐ沈黙の時代に入る。その次のカットで、傷つき、絶望したU&Nが立っている。ネプチューンは爆風の影響で、右腕に怪我を負ってしまっている。 N「おしまいね…」 おしまいね、というセリフと、右腕の怪我(=ヴァイオリニストとしての生命が終わること)が同じ1コマの中に盛り込まれいた。腕≒手。 ↓ [重要] 5.アニメスターズ編第198話『消えゆく星々!ウラヌス達の最期』。 ギャラクシアへの最後の抵抗虚しく、2人が倒れて消滅していくシーン。 U「怖いか?みちる…」 N「はるか」 U「…何?」 N「はるか…はるかに触れたい」 消えかけてもうほとんど力の残っていないはずのウラヌスだったが、手を伸ばし、ネプチューンの片手指先にわずかに触れる。かろうじて届いた指先をウラヌスが握ると、ネプチューンは安らいだ笑顔になる。二人はその後まもなく消滅していく。 このシーンに関しては、原作第17巻に登場するギャラクシアの配下2名“忘却の川の番人レテ星セーラーレテ” “記憶の川の番人ムネモシュネ星セーラームネモシュネ”の最期を借用したものと思われる(第17巻p.127「Act48 スターズ6」)。アニメではこの2名は登場しないが、その代役としてレテをウラヌスに、ムネモシュネをネプチューンにあてているように思われる。たとえばムネモシュネがとった非合理的な行動は、S編第110話でネプチューンがとった行動と比較すると、2キャラクターの共通性が見えてくるだろう。スターズ編最終決戦時に各キャラクターが持つ考え方や行動が、奇妙に一致している。ではなぜウラヌス・ネプチューンがレテ・ムメモシュネの代役を務めているのか。それは、アニメではストーリーの単純化を図ったためであると思われる。原作では他にもセーラーコスモス(ちびちびの真の姿。究極のセーラームーン)やセーラーカルテット(味方/ちびムーンの配下)、セーラーφ、セーラーχ、泥人形等がギャラクシア戦で登場し、重要な役目を担っているが、アニメでは一切登場しない。 ----------------------------------------------------------------------- 他にも戦闘で怪我をするときは、だいたい右腕を負傷してしまう(とくにネプチューン。この点に関しては、戦士であることはヴァイオリニスト生命をいつでも絶たれる危険があることを暗示)。“腕”、もっと共通点を探せば“手”は、何を表そうとしていたのか。身体の他の部分ではなくて、何故手だったのか。 疑問を解く一つの鍵として、110話のはるかは、みちるに手を絡められて「私はあなたの手が好きよ」と言われたとき、驚いた顔を見せたことが挙げられる。一方あのシーンのみちるは、安らいだような、全てを見透かしたような笑顔をしていた。あのシーンの状況を整理してみたい。自分の手を見つめながら「どうせこの手は汚れている」と心の中で呟いたはるかに、みちるが近づき、手を絡めて「私はあなたの手が好きよ」と言う。アニメにおいて、ウラヌス/ネプチューンが一般人に対して殺傷を完了したシーンはなかった。106話回想シーンのネプチューンも未遂である。では何故この「汚れている」という言葉が、はるかの口から出てきたのか。やはり106話回想シーン以降から初登場90話に至るまでに、タリスマン探しに関わる何らかの殺傷に関与した可能性が考えられる。 …極論かも知れないが、他キャラと比較するとその可能性は一層高まる。アニメ「セーラームーン」シリーズでは、敵味方共に完全なる犠牲者(結局最後まで報われずに死んでいく者)が非常に少ない。血なまぐさい現実が突き付けられようとしたとき、“うさぎ”ことセーラームーンがここぞとばかりに奇跡を起こす。だから“うさぎ”という要素がまだ出てこない時点では、殺人殺傷等の可能性も強くは否定できない。先のはるかの「どうせこの手は汚れている」は、やはり殺傷を意識した発言ではないかと推察する(※2003/5/8追記)。 総じて、以上の“手”に関した二人の行動からわかることは、二人の“手”に対する思い入れが、一般人のものとはかなり異なって強いものだということ。日常生活の作業・行動のほとんどは、手を通して行われている。たしかに足や顔、その他の身体部分も密接に関与している。けれどももし両手が不自由だったら、どうだろうか。生活の大部分が麻痺してしまう。他の身体部分が不自由でも、音楽家/スポーツ選手としてある程度はやっていけるだろう。幾つか例をあげてみる。まず一つ目。世界的ヴァイオリニスト、イツァーク・パールマン。8歳のとき小児麻痺で両足不自由となり、義足使用。しかし幼い頃から比類なきヴァイオリンの才能を発揮し、現在ではその腕前は世界で五本の指に入ると言われている。演奏会には車椅子で、時には松葉杖をついて現れるのである。もう一つ。盲目の日本人ヴァイオリニスト、川畠成道。彼も8歳のときに視覚障害となり現在は耳からの情報のみで勉強を重ね、イギリスを本拠にソリストとして国際的な演奏活動を展開している。 この二つの例からわかることは、手以外ならばある程度のハンデがあっても克服していけるということ。裏返せば“腕”…手を怪我することは、プロ生命にとって克服不可能なマイナス要素を持つことになる、ということ。先にあげた二つの例はどちらもヴァイオリニストだったが、スポーツ選手の場合も同様に考えられるだろう。 その“手”を怪我するということ。その手を汚すということ。そのことは“二人がこれまでに、当たり前の生活を十分過ぎるほど犠牲にしてきている。また、これからも尚、犠牲を強いられる状況にある”ということを暗示しているのではないか。そして恐らくその度合いは、他の内部系戦士と比較してもずっと大きなものなのだろう。例として、愛野美奈子と水野亜美をとりあげたい。愛野美奈子はバレーとアイドルの夢を、水野亜美はドイツ留学の機会を、戦士としての宿命のために断念した。先述したように、人間生活の行動の多くは、手を使う。けれどもこの二人においては、H&Mと比べて手に関してさほど取り上げられていない。このことは、この二人がH&Mより殺人殺傷に関与してきた可能性が低いことを示しており、内部戦士より短い登場期間だったH&Mの人物像をそれゆえに深めるものとなっている。 ※2003/5/8追記 後日判明したことだが、上記の推察はおよそ当たっていた。根拠は、S編110話の脚本を担当した榎本洋司氏が1997年3月『アニメージュ -さよならセーラームーン特集-』に寄せたコメントにある。以下、該当部分を抜粋。 ―――はるかの「どうせこの手は汚れている」という言葉の意味に対する質問の手紙もいくつかもらった。質問というより確認かな。はるかとみちるの二人は、実際に誰かを犠牲にしたことがあるのか、という。 僕は、はるかとみちるは、すでに何人かの少年少女の命を奪っていると解釈していた。 “手を汚す覚悟”のあるキャラクターであるはるかとみちるを描くとき、僕にとって“その部分は”どうしても無視できない要素だったので、わかる人にだけわかってもらおうと、あえてあのセリフを入れたのだ。(抜粋終了) □ |
| [このページの先頭へ][アニメ研究目次ページに戻る][トップページに戻る] |