You Don't Know What Love Is
2002年5月27日 / 現代編追加設定まとめ / 作者:daydreamer
| 夕方。行き付けのバイク修理屋で愛機と戯れていると、戸外に知った立ち姿が現れた。外では工場のおやじさんが、中古買取したバイク数台のマシンチェックに追われている。その入念な車両チェック模様にしばしの間目を奪われているらしい、彼女の横向き加減な立ち姿。工場内中央にいた自分には、擦りガラスにそれがよく見えていた。左腕の小脇には、何か茶色い紙袋のようなものを抱えている。黒い学生鞄はその下。…近くで買い物でもした帰りなのだろうか。 窓の向こうにいる彼女の名を、幾分甲高い声で呼んでみる。外に存在する様様な騒音の中、彼女はこちらの声を聞き分けくれたらしく、一瞬弾かれたような顔をした後すぐ笑い返してきた。止まっていた足取りをこちらに方向転換して、窓の向こうにいる僕に伺いをたてる。 僕の両手はオイルまみれ。軍手をはめた両手のひらをひらひらとさせて、やや遠くにいる彼女にアピールする。彼女はそんな僕の様子を見てちょっと笑い、機械まみれの工場の中にすっと歩み入る。モトクロス用バイクの傍にいる僕のところまでやって来ると、持っていた茶色い紙袋を差し出してきた。 「差入れを持ってきたわ。オレンジジュースとフィッシュバーガー。そこのフレッシュベーカリーで買ってきたの。今日もここで…日が暮れるまで作業するつもりなんでしょ?」 見上げた彼女の表情は、何もかも心得ているかのような深い優しさを含んでいた。僕は工具を置いて立ち上がり、汚れた軍手をとって頭を掻く。 パートナーを組んでまだ半年ちょっと。彼女はこちらの生活リズムを完全に把握して、毎日のように夕食を届けて来れるようになってしまっている。普通の女子中学生なら絶対に嫌がるであろうオイル臭いバイク修理屋に。使命のためとはいえ、そんなところに然して厭わず通って来てくれる彼女には、本当に何とも頭が上がらない。 僕はといえば、彼女は"仕事"以外ではヴァイオリンのレッスンか絵の制作で忙しくしているんだろう、と思うだけだった。プライベートでも大したことは出来ていないし、使命のために僕から彼女の元に出向くこともほとんどない。…彼女と組んでからはずっとこの調子。食事、使命に関わる作戦立てや情報収集。望む望まないに関わらず、何時の間にか全てに彼女が気を配ってくれるようになってしまっていた。一人でいたときは何でも自分でこなしていたはずのに。…甘えるつもりは全然なかった。けれども彼女といるとあんまりにも居心地良くて、いつの間にか心の隅までほだされてしまっている感じなのだ。 「…サンキュ。助かるよ。」 紙袋を受け取り、マシンの後ろにあった古ぼけた木製長椅子にみちるを招く。水色の制服スカートひだを軽く手で押さえて、彼女は静かに腰掛けた。僕もそれに続いて長椅子に背を預ける。今日1日の出来事や、都心で続く連続怪事件と敵との関連性の考察、まだ見ぬメシアに関わる新情報。僅かな時すら無駄に出来ない状況の中、僕達はしばらく戦士としての情報交換に集中していた。お互いに表情は厳しく、メシアに繋がる僅かな糸口でも見逃すまいと頭をフル回転させる。毎日のこととはいえ、決して欠かすわけにはいかない大事な"仕事"の一部である。 一通り話し終わった後、ふっとみちるの表情が緩む。いつもなら「じゃ、また明日来るわ」と言って足早にこの場を去るのだが。その彼女が、今日はまだそのまま留まっている。僕はぼんやりと、いつもと違う彼女とのひとときへ想いを巡らせ始めた。渡されたハンドタオルで割と丁寧に両手を拭き、何となく黙り込んでしまった自分たちの沈黙が破られるのを待つ。しばらくすると、彼女は僕達のプライベートな打ち合わせについて切り出してきた。そこには14,5歳の同年代の級友と大差ない、屈託のない笑みを見せる彼女がいた。 「来週…ね。はるか、空いてる?」 外でいつも見せる上っ面の大人びた仮面を脱ぎ捨てた、瑞々しい思春期を送る赤頬の少女。そんなみちるを垣間見れるのは、どうやら僕だけの特権らしかった。とても嬉しいことではある。しかし…。今はそんなみちるを見ると、幾分困った顔にならざるを得ない状況にある。 「あ…ごめん。来週は、オランダに行くことにしてるんだ。MXGPの観戦でね。」 「そう。」 みちるは少しだけがっかりした表情を見せたが、すぐに次なる質問を繰り出してきた。 「じゃ、再来週の週末は?」 「ごめん…。 ドニントンパークであるロードレースの世界選手権、見に行こうと思ってて。」 「そう…。……。…じゃその次の週は、いつか空いてる?」 「…、……。ダメだ。岩手である第7戦、僕の出るレースがある週だから…」 二人きりで逢う時間、か。そんな時間は、そういえばもう一ヶ月近く持っていなかった。二人きりでないところでは、こうやってよく会っているのだけれど。彼女は以前も漏らしていたのだが、そういう付き合い方ではあまり満足出来ていないらしかった。"逢う"と"会う"の違い、らしかった。けれども僕は、こんな付き合い方でも十分だと思う。僕らはとても忙しい。みちるだって今は、夏にある大きなコンクールの準備で心中落ち着かない状況のはず。だから僕らは今、"会える"だけでも良しとしておかなければならない。 「…ん、いいの。ちょっと聞いてみただけだから。」 そう言ったまま、みちるは何だか口をつぐんでしまっている。僕は気まずくなって差入れの紙袋を漁り始める。紙袋の中にはオレンジジュースが二カップ入っていた。一つをみちるに渡して、しばらくは自分の水分補給に徹する。昼食以来何も口にしていなかった僕は、とても喉が渇いていた。みちるはあまり飲まない。ストローから早々と口を離し、一呼吸置くとまた口を開いた。 「ねえ、はるか。もうひとつ聞いてもいいかしら?」 「何?」 "もうひとつ"と言われて僕も少しだけ思考を再開する。…その次の次の週の予定は、どうだっただろうか。やはり何かのレースを観に行く予定にしていたような。いや、陸上のほうで強化練習に呼ばれている週だったかも知れない。いずれにせよ、良い返事を返すことは出来そうにない…。僕は幾らか視線をおどおどと泳がせながら、詫びの言葉といつかすべき埋め合わせについてあれこれと考え始めていた。 けれどみちるの質問は、こちらの予想とは全く異なったものだった。 「バイクと私、どっちが大事?」 「…。?」 唐突な質問にリアクションが遅れる。思わず見てしまったみちるの顔はまだ緩やかな笑みを保っていたが、幾分固く強張っているようにも見受けられた。彼女は落ち着いた声を保ったまま、先ほどの言葉を囁きかけるように繰り返す。 「どっちが大事?」 瞳は残照に照らされた海面のようにゆらゆらと揺れている。この瞳は…そういえば、以前に一度だけ見たことがある。確か、いつかの船上演奏会のとき。俯いた彼女の瞳は僕の言葉に傷ついて成されたものだった。だが済まないと思う以前に、その瞳の揺らめきのはっとさせられるほどの美しさにしばし心を奪われてしまった。今、僕は…。また彼女の瞳に、はっとさせられる美しさを感じている。 言葉はやはり、慎重に選ぶ。 「それは…。もちろん、どっちも大事さ。」 バイクとみちる。どっちとも大事に決まっている。優劣などつけられない。けれどもみちるは何故か、まだ退いてくれない。視線を横に流し、幾分自嘲気味に笑って。哀しく透き通った声で、また呟く。 「エンジンオイルの焼け焦げる臭いと、女の匂いだったら…。どっちが良い?」 「……。え、だから」 僕はさらに戸惑う。彼女の質問、循環しているのだ。珍しく動揺しているのだろうか…。 「答えて。」 横流しにした視線そのまま、辛そうな横顔を見せて彼女は目を伏せる。僕は釘を打たれたように身体を固くしながらも、彼女の顔から何とか視線だけ逸らすことに成功する。隣にその存在を大きく感じながらも、再び向き直ることが出来ないまま手の中のハンドタオルをクシャってみる。俄かに、重い沈黙が流れ始めた。 …彼女は僕に、何を言わせたいのだろう。バイクも君もどっちも大事だと言っているのに。大体…どちらかを選べと言われても、そうしなければならない理由が僕にはわからない。使命を負った戦いにおいては、セーラーネプチューンとしてのみちるは最重要。ジュニアレーサーとしての私生活においては、恋人としてのみちるは最重要。バイクはその私生活の前提条件であって、その中の一要素である彼女と較べるべきものではない。バイクで走る自分がなければ何事も始まらないし、何事も終わらない。風を切る日常がなくなってしまえば、僕が生きている意味はなくなってしまう。僕は、風の中でしか生きていけない。死と隣り合わせのギリギリの危険の中でしか、自分の存在感を確かに感じることが出来ない人間なのだ。…"愛されている"という事実だけで生きていくことは、まだとても出来やしない。これから先変わっていけるかと問われれば、「わからない」としか答えることが出来ない。そうなるとやはり…"バイクが一番なのか"ということになるが、それは先ほどの思考通り、NO.と言わざるを得ない。 そんな面倒な思考回路を。目の前のみちるにどう説明すればいいのか、そのときの自分にはわからなかった。だいぶん吸い上げたオレンジシュースのストローから口を離し、長椅子の上にカップを置いて一呼吸置く。同じ質問。答えも同じだ。 「……、…。バイクを超えるものはないよ。並ぶものはあっても。」 「…。」 翠色の瞳の奥では、また一波ゆらりと寄せては返す。さっきよりも、幾分海水の量が増した感がするのは気のせいだろうか。心内を悟られまいと、畳みかけるように僕は言葉を繋ぐ。 「みちるだってそうだろ?ヴァイオリンは、他の何よりも大事なもののはず。」 さっと横顔を覗いてみる。視線は下に落とされていたが、海面上でキラキラと光る反射光はもう隠すことの出来ないほど溢れ出していた。渇いていた黒藻は俄かに海水に浸されて、凛とした艶やきを放ち始める。僕はカモメのようにその上を飛ぶことしか知らない。次に言うべき言葉を、もうわからなくなってしまっていた。みちるは少しだけ頷いて、重たくなった口を再び開いた。 「…。そう、ね。でも」 言葉を続けようとするみちるだったが、外から飛びこんできた大きな呼び声によって閉口する。 「はるかちゃーん!」 おやじさんだ。やっと全車の総チェックが終わったのだろうか。 「はーい。何スか、おやじさーん。」 姿は見えないが、おやじさんは工場裏路地で試乗バイクを手際良く整列させている様子。 「そこの青い台の上に乗ってるメット持ってきてくんないかなー?ちょっとこいつらを吹かしに行ってくるよー。」 向かいにある整理棚の中で、鈍く光るそれを確認する。 「はーい。」 僕は椅子を立ち上がり、整理棚に置かれているおやじさん愛用のヘルメットを取りに向かう。程なく目的物に到達して振り返ると、長椅子からみちるも立ち上がっていた。僕は少し戸惑いながらも、立ちあがった彼女を見つめてみる。彼女はまだ視線を落としていたが、立ちあがった足取りは確かであった。 「私、今日はこれで帰るわね。7時からレッスンがあるから。」 「…。ああ、また明日。」 発せられた声のトーンはそれほど悲痛なものではなかった。けれども薄濡れた頬を見せるその白顔からは、空元気を出してどうにかこの場を乗り切ろうとする彼女の姿勢が感じられた。店入り口ドアが静かに押され、湿った外気の中に滑るようにさっと全身を投じていく。ほとんど音もなく、振り返ることもなく。物悲しい余韻だけ残して彼女は去っていった。 彼女の姿を見送った後、手にしていたヘルメットの重みをようやく感じ始める。おやじさんが大声で自分の名を呼ぶ声が聞こえる。呼ばれて、足早に工場裏路地へと向かう。ヘルメットを渡し、ずらりと並んだ中古バイク車両に目を奪われる。どいつも自分の子供にしたいような良いバイク揃いだ。…ふとその中の一つの、群青色のタンクにかかった鈍い輪光を見て思考が戻る。タンクの色、大時化のときの暗海のそれに似てる。岸壁に容赦なくぶちつける大波を思わせるその不安を誘う暗青色。降り立つ場所を失って荒れ空をいつまでも飛び続ける一羽のカモメの姿を幻視させるものだった。……、…みちる。みちるはさっき、最後に何て言おうとしていたのだろう。僕に何かを求めていたことは確かだ。だが何を。…わからない。何を僕に ドウゥゥン!ドウウウゥン、ドウウゥンン!ドゥン、ドウウゥン! ドッドッドッドッド… 1番手で試乗する青いネイキッドにエンジンがかけられた。それに乗ったおやじさんは、残りのバイクの幾つかを指差して、自分が走っているうちにチェーン部のオイル射しまで終わっておくように指図する。僕は頷く。バイクは程なく発進した。青いネイキッドとおやじさんは、轟音を撒き散らしながら夕闇の中に見る見る小さくなって消えていく。その轟音は、心の中で起こった彼女に対する僅かばかりの追想を、容赦なくかき消していった。 工場を後にしたあと。夕刻の残り日が、容赦なくみちるの白い柔肌を射し始める。初夏の日差しの強さは、軽い眩暈すら誘発させる。彼女はひとり、己の心内を確かめるように無言のトーチソングを唄い始めていた。 ――でもそれは あなたと較べるべきものじゃないわ 私はヴァイオリニストである前に 一人の女なの 何にも考えないで良い音色が出せるほど 何もかもを超越した人間じゃ全然ない 私が考えることは いつもあなたのこと あなたは私の 音の源 あなたと共に過ごす時間がもっと欲しい 別に私と同じ気持ちになってと言ってるわけじゃないの あなたにとって走ることは 生きることだから それを止めることは決して出来ない ただ私は わかってほしいだけなの 私にとってあなたは 生きる糧そのものだということを 他の何よりも優先されること あなたはわかってないみたいだけれど… "愛"って意外と そういうものなのよ 心の中で静かに流れるバラードは。 夕闇の中、帰路に着いたみちるの足取りを、いつも以上に重いものにさせてしまっていた。 Fin. |
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