Vanished Sky
初稿掲載日:2001年8月1日 / 最終修正日:2004年3月26日 / 現代編追加設定まとめ / 作者:daydreamer
| 何杯目かわからぬブランデーを、一気に飲み干す。サイドテーブルには空になったたくさんのボトルと、いくつかの汚れたタンブラー。分厚いカーテンはここ数日締め切られたままで、小さなルームライトだけがほの暗い室内を照らし続けている。今が朝か夜かさえわからない。 ことんっ。 空になったグラスを床に無造作に置く。うっすらと埃かぶったフローリングの床。はるかはソファーに身をもたせかけたまま、定まらない焦点でライトの光を見つめた。白い天井の隅で淡く光る電球。薄雲の中の宵月のよう。思考は既に完全に麻痺し、自分が今どのような状態であるのかわからない。何故こんなに酒を飲んだのか。何かについて考えるのを拒否しようとしていたのは、確かだ。しかし、何について…。考えようとすると、頭が痛くなった。 手当たり次第ボトルを開けていったので、酒がなくなった。散々飲んだわりには、さほど酔いが回っていない。体だけが妙に疲れてしまっている。酔いたいから酒を飲んだのではなかったのか。ソファーから身を起こし、ふらつく体でキッチンへと向かう。もっと酒を。 持ってきたボトルを開けながらふと、部屋には自分以外に音を立てる人間がいないことに気づく。現実の問題に引き戻されそうな、嫌な予感。レコードでも聴いてみるか。グラスを酒で満たしてから、部屋の一角を閉める重厚なオーディオ機器群へと向かう。曲目は選ばない。無造作に円盤を掴み、オーディオに押し込んだ。 音楽が緩やかに、低く流れ始める。独特の少ない音源で紡ぎ出される、甘く感傷的なメロディーライン。浮かない気分の折に、暗い感じの曲。皮肉に思えた。やつれた顔をわずかに強張らせて、酒を口に含む。これは…何の曲だったか。 スローテンポ。だが次第に激しい悲痛な曲調に変わっていく。叫ぶような、泣くような、濡れた音色に。やがてトランペットの音を借りて、一人の男のモノローグが始まる。夕暮れ時を一人淋しく過ごす、恋人を失った孤独な男。身も心も荒れ果て、今はもう、慕って訪れてくれる人さえ持たない。 …男の哀しげな声。 『夕暮れまでは、何とか大丈夫なのだけれど…。夜、特に真夜中あたりになると、去ってしまった恋の思い出が私を苦しめる…』 エレジーは、衰弱してやや聴覚が鈍っているはるかにもしっかりと聞こえてくる。その訴えに、無意識に同調している自分。同調? 何故だ? 朧げだった意識が、急にはっきりとしてくる。意識が戻るにつれて、心の傷がうずき出す。
曲目が思い当たった。『Round Midnight』。 壁にもたせていた体がずるずると床につく。手…包んでいたグラスは、力なく離れ落ちる。浴びるように酒を飲んだ理由が、ようやくわかった。 みちるがいなくなって、まだわずかな月日しか経っていない。最初のうちは、バイクに乗ったり映画を観たりして気を紛らしていた。深く物事を考えずに、上辺だけの楽しみを享受していればいい。孤独を紛らわす自信はあった。 しかしバイクを走らせて感じていた風は、次第に面白みなく乾き、劇場に映画を観に行くのもだんだん面倒くさくなっていく。…独りだったから。誰と一緒にいても、孤独を感じずにはいられなかったから。手近な人と交わったのも、みちるを思い出さないための苦肉の策に過ぎなかった。“愛”とか“恋”とか理屈を言わなければ、セックスは楽しいものだった。誰とでも、それなりに楽しめるものだった。ただそれは、一時だけの“繋ぎ”にしかならない。本気で恋してるわけじゃないから、すぐ熱が冷めてしまう。また寂しくなって、違う人と肌を重ねる。その繰り返し。相手も同じように遊びで相手しているのならば気楽だが、本気なら、負担になる。その人との将来なんて考える気にもならないのに、勝手に青写真を作られて、見せられる。 うんざりするような、しつこさ。心が拒絶反応を起こして、わざと深く傷つける。…過去に傷をもっている人間は、同じように他人を傷つけるもの。無意識にも、意識的にも。純粋に恋してしまった人ほど深く傷つけ、突き放す。微笑みは泣き顔へと変わり、いつしか狂気へと変わる。だんだん臆病になっていく自分。遊べば遊ぶほど、どんどん臆病になっていく。怖くて、気軽には肌を重ねられなくなっていく。 激しい自己嫌悪と、快楽の代償。火遊びする以前よりもっと心が荒んで、追い詰められていることに気づく。なにより、孤独。それは何をやっても拭えない。何をやっても、替えがきかない。 気が狂いそうだった。 弱い自分を人前にさらさないために、自宅にこもった。大して食事を摂らずに、酒ばかり飲み始めた。それから…。それより他に、何をしていたのか覚えていない。 みちるがいないだけで、こんなにも崩れてしまうとは。戦士としての使命を終えた今は、二人の関係は必然的なものではない。前世からの宿縁だから離れることが出来ないというのは、ただの言い訳にしかならない。運命よりも、現世での魅力でお互いを判断していかねばならないのだ。それぞれの生活を尊重しつつ、幸せを模索していかねばならない。叶えたい夢もある。必要とあらば、別れる事だってあるだろう。そう頭では理解していたつもりだったが…。 いつの間にか、一人でいることを嫌がるようになっていた。早朝ツーリングや、休日の一人で居られる自由な時間さえ持たなくなっていた。みちるを一人にしたくない。そしてまた、自分自身一人になりたくない。彼女の存在が、常に喩えようのない安心感を与えてくれるのだ。いつでも無鉄砲な自分を、決して見放さずに寄り添ってくれる。そのことが、何ものにも代え難く心強い。彼女さえいれば、自分はいくらでも強くなれる。 …その幼稚な考えが、自分をここまで弱くした。実際は、彼女の存在に大きく依存して、己れの弱さを肥大させていたに過ぎなかったのだ。その証拠に、別れた今でも彼女の幻影が心の中に巣食っている。自分にしか見えない幻影。まるで亡霊のように、突如現れては消える。頭から消し去ろうと努力すればするほど、その日の夢に決まって現れる。そういう日に限って、夢の中では幸せだった。そういう日に限って、夢の中のみちるは優しかった。その繰り返し。身体も心も、少しずつ蝕まれていく。臆病さを隠して、手近な人と肌を重ねる。またもっと臆病になる。どんどん自分が自分でなくなっていく。昔に戻れない。みちると会う前の自分に、戻れなくなっている。昔は、失うことを何も恐れていなかった。かけがえのないものが何なのかも、まだ良くわかっていなかった。だからあの頃のほうが…、今より強く生きていたのかも知れない。 この暗路を脱する方法が思い浮かばない。不器用な自分には、酒を飲み、時を無駄にすることしか出来ないのか。愛しい人の不在に、ただ焦がれて。 レコードは終わり、部屋には静寂が戻った。 Fin. |
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![]() Photo:daydreamer |
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| ※1.この作品は、フィクションです。作品中に登場する名称や出来事は、実在の人物や出来事とは一切関係ありません。 ※2.ジャズソング「Round Midnight」の著作権は、作曲者Thelonious Monkに、作詞者Bernie Hanighen に帰属します。この小話で使われている訳詞はdaydreamerによる趣味の範囲での完全なパロディであり、作曲者・作詞者本人とは一切関係ありません。 |