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初稿掲載日:2008年7月2日 / 最終修正掲載日:2008年10月10日 / 前世編付加設定まとめ / 作者: daydreamer
「賭けだって? この“早駆け”が…?」
 ウラヌスは目を瞬いた。トリトンはまっすぐにウラヌスを見て、口を開いた。
「はい。私が勝ったら、ネプチューン様との関係を解消してください。もし負けたら、私はネプチューン様への想いをきっぱりと諦めます。」
「何だって…?」
 ウラヌスは眉をひそめた。
「トリトン…。あなた…。」
 二人の少し後方に立つネプチューンは、言葉を失った。突如、碧い砂塵が巻き上がり、三人の視界を遮った。
 
 早駆け。それは超広域実戦型のシミュレーション「High-speed Movement And Intercepting Intruder Program(高速移動・侵入者阻止プログラム)」の通称である。仮想空間内の隕石や小惑星の間を高速で駆け抜け、随所に潜む仮想の敵を倒して目的地に到達するというハイレベルなトレーニングメニュー。“早駆け”は、数あるトレーニングの中でも最も実戦に近いシミュレーションとされる。 迅速な状況判断力と強力な突破力を必要とするため、Bランク以上の戦士(ストライカーと呼ばれる)にしか実施が許可されていない。実施には他のBランク以上の戦士1名の立ち会いが必要となる。
 今回、ウラヌスとトリトンがこのシミュレーションに参加することになる。発起人はトリトン、立会人はネプチューン。トリトンはもう随分長いこと思い詰めたように、この“対戦”に向けて準備をしてきた。ネプチューンは、トリトンがある日を境に、このシミュレーションの立会人を懇願し続けたので、仕方なく引き受けた次第である。ウラヌスはそんな事情も知らず、軽い気持ちでトリトンからの“対戦”を昨夜引き受けた。引き受けたのは、たまたま、天王星方向に侵入者の気配を感じなかったから、ネプチューンの顔を久しぶりに直に見たかったからに過ぎない。
 ウラヌスはSSランク、ネプチューンはS+ランク、トリトンはAAAランクの戦士。三人とも空間転移能力と強力な突破力を持つ。シルバーミレニアムに所属する戦士には、半年に一度、ソルジャーランク認定試験が課される。希望するランクと勤務地・任務内容によって試験内容は毎回何種類も用意されている。ウラヌス、ネプチューン、トリトンも幼少時代から幾度となくこのランク認定試験をかいくぐって来た。
 最高はSSSランク。現在のところSSSランク保有者は、土星に封印されている破滅の戦士サターンのみ。サターンに関してはランク認定試験は一度しか実施されておらず、ランク確定後すぐにクィーン・セレニティの手によって土星に封印された。その事実はAAAランク以上の保有者で、セーラー戦士になる素養がある戦士にしか知らされていない。現在、サターンの存在を知っているのはウラヌス、ネプチューン、プルート、トリトンのみ。彼女達の部下であるタイタニアやプロテウス、カロン等は皆AAランク以下であり、空間転移能力はない。各戦士の能力の特色としては、エアロステーションにはパワー系の戦士が、マリンステーションには参謀型の知略戦士、クロノステーションには時空操作・幻術等の特殊能力系の戦士が集まっている。ウラヌスとネプチューン、トリトンの能力もそれぞれのステーションに準じた能力を有している。トリトンはネプチューンの直近の部下で、知略型の戦士。ただ彼女には、天海冥の惑星に準じる空間転移能力と突破力があった。その姿は“pink bullet(ピンクの弾丸)”の異名をとるほどである。超高速で空を駆るウラヌスの異名“gold god of fluctuation(金色の彷徨神)”ほどの知名度ではないけれども。シルバーミレニアムで大きな行事が開催されてネプチューン達三人も出席する際は、代わりにトリトンが外部太陽系の部隊を指揮して、時に最前線で戦い、王国の平穏を保ってきた。それだけにクィーン・セレニティからの信頼も厚い。クィーンへのお目通りも、天海冥の部隊の中ではネプチューン達三人以外で唯一トリトンだけ許されていた。

 今回の“早駆け”のゴール地点は、仮想空間内の首都星“月”のムーンキャッスル。シルバーミレニアムの一大事に、戦士として一番最初に王国の中枢部に馳せ参じ、パレスを死守するための模擬戦と設定されている。本来ならば天海冥の部隊員は、自分の守護星がゴール地点となる。内部太陽系の部隊と違って、天海冥の部隊は太陽系外部からの侵入者阻止が任務内容であるから。そこで今回の模擬戦では、双方の公平を期してゴール地点をムーンキャッスルの中心部とした。海王星やその衛星は、天王星よりも月から2倍近く離れた軌道を周回している分、スタート地点を同じにしてもトリトンにとってどうしても不利な戦いになる。立会人であるネプチューンは、そのことを考慮した。スタート地点は、マリンステーション本部がある海王星。ネプチューンは、昨夜ウラヌスに、本部近くの私室にある通信ボードから、プライベートモードで今回の模擬戦の話を初めてした。断られるかも知れないという一分の不安があったが、対戦者がトリトンであることを告げると、意味深長な笑いと共にウラヌスは快諾してくれた。

 ウラヌスは、つい先ほど海王星に長距離テレポーテーションしてきたところだった。テレポーテーション、すなわち空間転移にはそれなりの力を必要とする。ウラヌスのことを心配したネプチューンは、転移装置を使って海王星に出向いてくれるよう昨夜提案したが、ウラヌスは首を横に振った。ソルジャーランク上、自身と歴然とした実力差があるトリトンのために自らにハンデを与えたのだった。現在、夕刻19時を少し過ぎたところ。マリンステーション本部の訓練場には夜営用のライトが灯されようとしている。現れたウラヌスは、顔色一つ変えず、前髪を掬っている。トリトンはそのような事情に気づいてはいたが、多大な力を使っても余裕綽々のウラヌスを前にして、一向に気を緩める気にはなれなかった。

 今回のシミュレーションは、走行距離が非常に長く、トラップの数も尋常ではない。知略に長けたネプチューンが作った訓練プログラムであるから、難易度も相当なものだろう。それもわざわざウラヌスを海王星に…。マリンステーション本部に呼び出してまで実行される模擬戦である。今頃はウラヌスの代わりに、天王星方向の守りをタイタニア中将が固めていることだろう。
 トリトンは己の突破力と知略を駆使して、ストライカーとしてウラヌスに必ず勝とうと心に決めていた。彼女は決意に満ちた表情で、ウラヌスの蒼い瞳をしっかりと見た。
「ネプチューン様とウラヌス様がセーラー戦士化の実験体となることは、私も知らされています。その後の任務地に就いても。」
 機密事項をあえて口にして、相手の動揺を誘ってみる。ウラヌスはネプチューンと顔を見合わせて、それからゆっくりとトリトンを見た。その表情には動揺の色はなく、どこか呆れたような雰囲気が漂っていた。しばしの沈黙。次第に、ウラヌスの眼光が鋭くなっていく。
「トリトン。君は…。」
 トリトンは怯まずに言葉を続けた。
「天海冥の部隊の中でこのことを知っているのは、私一人です。一ヶ月前、クィーン・セレニティから直々にお話を頂きました。お二人のセーラー戦士化が完了した後は…。いいえ正確にはお三方のセーラー戦士化が完了した後は、私が天海冥の部隊を束ねるように命じられています。各衛星の守備力上のご判断とのことです。そして我々一般人の記憶から、あなた方のデータは、クィーンのお力によって全て抹消されるとも。」
 海王星特有の碧い砂塵が、薄く、二人の間の視界を遮る。二人はバリアも発動させずに砂塵に身を洗わせて、向かい合っていた。 
「そうか…。」
 ゆっくりと、ウラヌスが天を仰ぐ。海王星の空は、砂塵の色と同じく、とても碧かった。ウラヌスの返答は短くて、感情を窺い知れない声色。そのことがトリトンを苛立たせた。
「私は、ネプチューン様に、これ以上お辛い思いをさせたくありません。だから、私がネプチューン様の代わりになりたいのです。私が代わりに、セーラー戦士になります。」
「トリトン…!」
 少し引いて二人のやりとりを見守っていたネプチューンが、思わず声を上げた。ネプチューンにとってもクィーン・セレニティにとっても、これまで最も忠実な部下の一人であったはずのトリトンが、こうも好戦的にウラヌスに物言いするのを受けて。止めに入らなければいけないと思った。
「そんなことをしなくても、私もあなたもセーラー戦士にならないわ。だって志願していないもの。セーラー戦士としての覚醒には、原理上、国を守るという強い意志が不可欠なのよ。それに、ソルジャー・エナジーの供給源として月の銀水晶ではなく、自分の守護星まるまる一つを占有しなければならない。それはその守護星の加護を受けて生活に営む全ての人々の命を犠牲にすることを意味するの。つまり衛星トリトンに住む全ての人々…あなたのご家族の命も、血族関係にある部下達の命も犠牲になる。そしてセーラー戦士として覚醒した後は、銀水晶の力によって自身の存在を人々の記憶から抹消される。そんな馬鹿げた計画、私はもう当の昔から反対してきたわ。理屈ではわかっていても、私にはそんな犠牲、耐えられないから。」
 トリトンは、ネプチューンが“ウラヌス”という固有名詞を一切出さずに事情を説明したことに少しの満足感を覚えた。同時に、嫉妬も。視線をウラヌスの瞳に保ったまま、はっきりと宣言する。
「私は、セーラー戦士になることを志願します。いま、ここで。」
 ネプチューンは目を見開いた。突然聞き分けの悪くなった部下に、いいや、一番の親友に大いに手を焼いて。ウラヌスは二人のやりとりを黙って聞いていた。ネプチューンが言葉に窮したところで、軽く溜息をついて、代わりに口を開く。
「君は優しいな、トリトン。でも、それは僕達が決めることじゃない。」
 トリトンの真っ直ぐな眼差しは、それでもウラヌスから逸らされることがなかった。 
「わかっています。ですが、もしも私が、ストライカーとしてNo.1と評されるウラヌス様に早駆けで勝てて、その事実を報告したならば、クィーンもお考え直しになるやも知れません。」
 聞き分けのないトリトンに、ウラヌスは思わず失笑した。
「ふっ…。それで気が済むなら、付き合ってあげよう。」
「ありがとうございます。」
 ウラヌスはいい加減に話の内容が面倒臭くなってきたらしく、ネプチューンと目を合わせてお手上げポーズをとった。真剣な話をしたつもりなのに、そんな風に茶化されるのがトリトンは我慢ならなかった。眉間に皺をよせて、鋭くウラヌスを睨みつける。その表情の険しさに気づいたネプチューンが、少し慌てて言葉を紡ぎ始めた。
「でも一度きり。今回だけ許可するわ。私のことを思って発言してくれるのは嬉しいけれど、天海冥の部隊の主力二人を、私情を挟んだ過度なトレーニングで疲労させるわけにはいかないもの。今回私が作ったシミュレーションは、そう簡単に突破できるものではなくってよ。」
 肩を怒らせ始めていたトリトンは、ネプチューンの言葉で冷静さを取り戻した。
「はい。十分承知しております。」
 それを聞いてネプチューンは柔らかく微笑んだ。トリトンはその笑顔に見惚れながら、これから始まる壮絶な模擬戦に対する気構えを再度やり始めていた。

―――この戦いに勝てば、ネプチューンはウラヌス様との関係を解消してくださるんだ…。負けるわけにはいかない。絶対に、負けられない…。

 そんな風に思い詰めるトリトンと、ウラヌスの態度は対照的だった。海王星上空の強烈な砂嵐―――スクーター―――の一部を、自身の力を使って制御して、そよ風に変えて、自分の周りにまとわり付かせていた。対戦を前に、エナジーを無駄遣いしているとしか思えない行動。三人の周囲を、心地良い潮風のようなものが幾度となく吹き抜けていく。どの星にいても、風との対話はウラヌスの御手の物だった。海王星の風は太陽系一強烈だから、扱いには苦労するはずだけれど。それを微塵にも感じさせない立ち振る舞いだった。
 緩いウェーブがかかった翡翠色の髪を風で優しく弄ばれながら、ネプチューンはコンソールとA.I.デバイスを胸元から取り出した。それらを使って、次元操作を施された巨大な仮想空間を作り始める。森に囲まれただだっ広いな訓練場が、次第に様々な色を帯びた建物に満ち、太陽系中心部への壮大な走路へと変わっていく。トリトンは一つ深呼吸して、これから始まる戦いに強い決意を漲らせた。

<< Running set up mode of operation. Please wait. ......Completed job. Now,I'm all finished. (セットアップモード起動中。しばらくお待ちください。…完了。出来上がりました。)>> 

「ありがとう、ウンディーネ。」

<< Please don't mention it, master.(いえいえ、とんでもございません、マスター。)>>

 水の精霊の名を付けられたA.I.デバイスは、穏やかな女声でネプチューンの言葉に嬉しそうに反応した。出来上がった巨大な仮想空間をネプチューンは一時ばかり見つめて、それから静かに口を開いた。
「どちらかが先にゴールしたらその時点で模擬戦終了。有事のためにも、力の無駄遣いは禁物だもの。では二人とも、始めるわよ。」

<< Stand by and ready.(準備してください。)>>

 ウラヌスとトリトンは、スタート地点に立った。場所はマリンステーション本部司令センター内の部隊長デスクに設定されていた。つまりネプチューンが平常勤務中ずっと居る空間である。トリトンは、毎日のようにそのデスクに業務報告に上がっていた。仮想空間上とはいえ、見慣れた光景。トリトンが記憶する限りでは、ウラヌスがその場所を訪れたことは一度もなかった。海王星内の別施設…ネプチューンの私室には頻繁に通っているようだけれども。…長距離テレポーテーションを使って。転移装置を使うと記録が残るから、テレポーテーションで…。トリトンは思わず歯を噛み締めた。奥歯が痛い。スタート地点の斜め後ろにいるネプチューンの存在を思い出して、冷静さを取り戻す。
 少なくともマリンステーション本部司令センター内では、ウラヌスはテレポーテーションを行うことが出来ないだろう。テレポーテーションには出発地点と到達地点の正確な座標情報…イメージが必要となる。スタート地点の選定に関しても、ソルジャー・ランクでウラヌスに劣るトリトンに配慮して決められたもの。もちろんネプチューンからの詳しい事情説明はない。トリトンは、ネプチューンが自分のことを考えてプログラムを組んでくれていることをとても嬉しく感じていた。大事な対戦前だというのに、思わず笑みが零れる。そしてすぐに気を引き締めた。

―――ネプチューンの配慮に感謝しなくちゃね。海王星一帯の地理に熟知していることを生かして、スタートダッシュで大幅に差をつけよう。前半、天王星を過ぎるまでに差をつけなければ、ウラヌス様の速さには対抗できない。

<< Ready, set, go! (位置について、よーい、ドン!) >>

 太陽系最速のストライカーの名を賭けて。もっと言えば、ネプチューンという一人の女性を賭けて。スタートの合図と共に、仮想空間のスタート地点を、二つの影が勢い良く飛び去った。



 開始早々。二人ともデスクから司令センター外部に繋がるドアの前に走り出た。ウラヌスが先にドアノブに触れた。開かない。トリトンは迷わず扉の外の廊下をイメージし、短距離テレポーテーションを行った。後ろにウラヌスの姿が見えないことにホッとして。しかしホッとするのも束の間、背後から高レベルのエネルギー反応が感じ取られた。ドアが勢い良く吹っ飛び、ウラヌスが廊下に走り出てきた。トリトンは慌てた。“開かないなら、思いきりぶち壊せばいい”というのはパワー型の戦士なら考えそうなことだけれども。こうも簡単にやってのけられると、面食らってしまう。小刻みに中距離テレポーテーションを行い、ウラヌスから逃げ、司令センターから惑星間連絡通路へ…。海王星を包むリング・アーク方向へとどんどん身体を飛ばした。

 リング・アークに着いて、惑星間転移装置がある部屋に走り込む。ここも鍵がかかっている。ドア前でまた短距離テレポーテーションして、室内に無理矢理入り込む。室内の様子はいつもと違っていた。5ポッドあるはずの転移装置が一つしか置かれていない。それも稼動エネルギーの残量切れランプが点く寸前の状態だった。装置が使用出来るのは恐らく一度きり、一人分だけ。エネルギー残量の関係上、天王星のエアロステーション本部までくらいしか転移できない。ウラヌスよりも先にその場所に着いたトリトンは好機を逃さず、転移到達地点をエアロステーション本部に設定した。そして装置に飛び乗った。

 数分後。トリトンは、エアロステーション本部の惑星間転移装置内に転移していた。ポッドから飛び出して、ステーション内部を見回す。そこは廃墟と化していて、これまで訪れたことがある美しい蒼色で統一されたボディを失っていた。外形を留めていない施設も多い。これでは、この一帯の管理責任者であるウラヌスも、そう頻繁にはテレポーテーションを使えないだろう。室内の小型モニター数台には、天王星の各衛星も同様に廃墟と化していることが映し出されていた。ウラヌスに課せられたハンデは相当大きなものと言っていい。ネプチューンの配慮と、トリトン自身の力の弱さを痛感しながら、建物の外に出る。そして、ウラヌスほどではないが、特異な飛翔力を備えた脚で、天王星の上空へと駆け上がった。天王星からの脱出速度を的確にキープして、星間空間目指してシールドを展開していく。身体に強い重力がかかった。

 天王星を出ると、不意に、正面から非常に強烈な宇宙塵がトリトンの身体を襲ってきた。宇宙塵とは、星間空間に散らばる個体の微粒子のこと。マイナスエナジーを発しており、不規則に浮遊していて、複数個固まって突然襲ってくる。それは星間の走行中、時々起こる現象である。身体にぶつかると体力を消耗されるので、上手くシールドを張って一定時間凌がなければならない。通常、その間は防御に徹するので足止めを食らう。ストライカーとして星間空間で外敵と対峙する天海冥の戦士達は、誰でも一度は経験する出来事だった。トリトンも幾度となく宇宙塵の被害を受けていたが、今回のはかつてないほど強烈だった。足を止めて、咄嗟に水のシールドを前面に局部展開する。ピンク色の分厚い水壁が素早く現れ、トリトンの身体を守った。シールドにぶち当たった大量の宇宙塵は形を失い、ただの中和エネルギー塊へと変質していく。だが当たりが強烈なので、マイナスエナジーを完全に中和するまでは手が離せない。
 と、予想外に、背後からも宇宙塵が襲ってきた。首を後方に巡らせて、前面のシールドから片手を離す。空いた片手にプラスエナジーを込めて、襲ってくる宇宙塵に向かってシールドを展開する。両手を使って、それぞれの宇宙塵に壁型のシールドを張る。徐々に薄れていくとはいえ、強烈な当たり。歯を食いしばって、難を凌いだ。さらに悪いことに、処理の途中で三度目の宇宙塵が頭上から降りかかってきた。これは実戦でも経験のないこと。ネプチューンのオリジナルだろう。トリトンは、両手をうんと広げて、足を踏ん張り、エナジーを最大出力にした。自身の身体全体をすっぽりと包む球状の分厚いシールドをイメージする。程なく形成されたシールドは、一定時間トリトンの身体を包み込んで三方向からの宇宙塵を防いだ。

 息つく暇もなく、今度は流星群に隠れて外敵が現れた。その数20。これまで受けたシミュレーション上でも同時出現は15体までしか経験したことがない。実戦経験では10体が最高だった。それでもそのときは、ネプチューンがすぐに応援に駆けつけてくれたので、コンビネーションを生かして敵を粉砕できた。いまは、一人。すぐに敵に取り囲まれた。

―――もう、ネプチューンの意地悪! 最悪だわ…。

 単体でもかなりてこずる再生系・粘着質系の敵である。この手の敵は、タチが悪いことに、倒しても倒しても傷口をすぐ修復して、起き上がってくる。力を強めて敵の身体を原子レベルまで分解しても、次元空間のどこかに隠された再生プログラム機構本体を破壊しない限り戦いは終わらない。しかもそれだけでない。敵は組織的な動きを見せ、突撃兵タイプと指揮官タイプに分かれていた。指揮官タイプは2体、突撃兵タイプは18体。トリトンは再びパワーをMAXにして、まず突撃兵タイプの敵の完全消滅を試みた。四方に散らばる18体の敵に大量のエネルギー弾をシュートしながら、同時に神経を研ぎ澄まして時空の歪みを感じ取る。エネルギー弾は全弾クリティカルヒットし、敵は原子レベルまで分解されていく。時空の歪みは、天秤座σ星方向にわずかに感じられた。そこに、再生プログラム本体が隠されているはず。それを破壊すべく、新たに強力なピンポイントエネルギー弾をイメージする。ピンク色の強い光が、星屑がくっつくようにトリトンの前方に集まった。と、残った指揮官タイプ2体のうち1体が、天秤座σ星方向に素早く移動した。

―――やっぱりね…。あそこだわ。こうなったら、指揮官タイプ1体ごと強行突破するしかない。

 トリトンは、プログラムを破壊するピンポイントエネルギー弾とは別に、多数の通常エネルギー弾を用意した。必要以上に、多く、強く。しかしその非常に短い過程で、別の可能性も考えられることに気づいた。

―――多分、もう一方の指揮官タイプも同時に動いてくる。いま天秤座方向を守ってるのが参謀で、土星方向に陣取ってるのが将よね…。2体でどんな攻撃を仕掛けてくるのか、わからない。その時どう対処するか…。

 指揮官クラスのエネルギー保有量は相当なものだ。2体同時に撃破するには、今のトリトンは持てるエナジーの1/5近くを一気に消費をしなければならない。シミュレーション上で外敵との戦いがこれきりというわけではない状況下で、トリトンは英断を求められた。作り出したエネルギー弾は一発も無駄に出来ないし、これ以上ここで足止めを食らっているわけにもいかない。

―――決めたわ。将の方を先に討つ。出方がわからないなら、こちらから攻めて動かせばいい。

 決めた後のトリトンの行動は早かった。周囲にばらつかせていたエネルギー弾を一気に両手に集め直して、フルスピードで将の腹下に潜り込んだ。そして右手でエネルギー球を思い切り打ち込む。敵の将はトリトンの行動を予想できておらず、慌てて構えのポーズをとった。攻撃は直撃した。拳を打ち込まれた姿のまま、腹を押さえて将は前のめりに倒れ込んだ。天秤座σ星方向を守っている参謀の方は、動かない。将が倒されても再生プログラム機構本体が無事ならば、何度でも戦いを挑めると踏んでの行動だろう。トリトンは再びフルスピードで移動して、参謀と対峙した。時間がない。早く参謀を倒して再生プログラム本体を破壊しなければ、また20体を相手に戦わなければいけなくなる。参謀は杖のようなものを振りかざして、トリトンの進路を粘着質の壁で防ぎ始めた。時間稼ぎのためだろう。トリトンはまるで走高跳をするようにその粘着質の高い壁をスイと飛び越えて、参謀の頭上に舞い上がった。そして素早く体勢を立て直し、エネルギー球を細かく分裂させた。参謀と再生プログラム機構本体があると思われる場所に、両手で大量のエネルギー弾を打ち込んだ。

 全弾クリーンヒット。参謀は断末魔の叫び声を上げながら、原子レベルまで散っていた。再生プログラム本体も、無事破壊できた。

―――よし! 先を急ぐわよ。

 土星と天王星の狭間でそのような激闘を演じていたトリトンは、気を取り直してまた駆け出した。次のトラップに警戒しながら、土星目指して駆けてゆく。と、後ろから超高速で非常に強烈なエネルギー体が近づいてきていることを感じ取った。保有するエネルギー量は今のトリトンより20倍以上ある。思わず、後ろを振り返る。
 それは金色の一閃の光に見えた。物凄い勢い、有り得ない位の速さで近づいてくる。最初は小さな点だったそれは、すぐに肉眼で確認できる状態になった。

―――敵?それとも隕石? …、…。いいや、違う。あれは………………。

 果たしてそれは、ウラヌスだった。“金色の彷徨神”の名宜しく、随所に潜むトラップをスイスイと鳥のようにかわして、超高速でこちらに近づいてくる。突如、再び宇宙塵が現れた。しかしそれはトリトンの横をすり抜けて、向かってくるウラヌスに全てぶち当たっていった。トリトンのときと違って、三重の壁なんてものではない。15…20…30。幾重にも重なって宇宙塵がウラヌスの身体を襲った。ウラヌスはそれをいとも簡単に払いのけた。静寂を取り戻した宇宙空間。気づくと、二人は並走していた。

「どうやら追いついたみたいだね。ちょっと手間取ったけど。」
「…。」

 土星までの道のりを駆けながら、ウラヌスが口を開いた。トリトンは悔しさで一杯になり、苦虫を噛み潰したような顔になった。いて座方向で星が瞬き、流れ星を形成していった。

―――私の方が絶対に有利な条件で事を運べていたはずなのに。宇宙塵や敵を処理している間に差を詰められたのかしら…?

 疑問は幾らでも浮かんだ。海王星一帯でも天王星一帯はテレポーテーションがほとんど使えず、恐らくトリトン以上に負荷が多いシミュレーションに参加していたはずのウラヌスが、いまはトリトンの隣を駆けている。しかも自分の20倍以上のエネルギー量を保有している。まともに戦ったら、絶対に歯が立たない相手である。

―――これが、SSランクの実力…。でも私には、頭がある。知略で勝負しなきゃ。

 トリトンは何か打つ手はないかと頭をめぐらせ始めた。飛翔力ではマリンステーションの部隊一という自信があったけれど、相手がウラヌスとなると、そう強気にも攻められない。
 うだうだと考え始めていると、突如また後方から超高速で何かが近づいてくることに気づいた。振り返る。エネルギー量はトリトンの約15倍。それは薄浅葱色のオーラを放った人だった。見間違えるはずもない。ネプチューンだ。シミュレーション中に立会人が仮想空間内に顔を出すのはどうかと思ったが、会いに来てくれたことが嬉しかった。二人の前に到着した“ネプチューン”は、微笑みながらトリトンに手を差し伸べた。トリトンは何の疑問も持たずにその手をとろうとした。

 バシッ。

 横からウラヌスがトリトンの手を叩いた。それだけではなく、“ネプチューン”から距離をとって迎撃の構えを見せた。トリトンは状況が飲み込めずにいた。

「見間違えるな!そいつは敵だ。本物のネプチューンじゃない。」 
「え……? でもこの方からは、ネプチューン様のオーラを感じます。」
 トリトンは、本当に信じられないというような驚いた顔をして、とりあえず後ずさりした。
「そう。よく似せてある。オーラの波長がほとんど同じだ。でも心は邪悪に支配されている。」
 ウラヌスは言い終わると同時に両手でエネルギー弾を作り始めた。迷わずエネルギー弾を“ネプチューン”目掛けてシュートした。“ネプチューン”はウラヌスからの攻撃を強力なシールドを張って防御した。そして不敵な微笑みを浮かべて、口を開いた。

<< あら、ウラヌス。気づくのが早いわね。あなたが予想より早くトリトンに追いついたから、新しいハンデを課しにやってきたところだったのに。>>

 それは遠隔操作された“本物”のネプチューンの声だった。“ネプチューン”は微笑んで両手にエネルギー球を作ってきた。
「随分と手の込んだトラップを仕掛けてくれるもんだな。でも、僕は騙されないぜ。」
 ウラヌスは好戦的な表情で、“ネプチューン”と同じく不敵に微笑んだ。トリトンはまだ混乱していた。声色も物腰も、目の前にいる人はネプチューンそのものだった。何より発せられるオーラとエネルギー量がネプチューンのそれとほとんど同じ。シミュレーション上とはいえ、こんな精密なコピーが出来るものなのだろうか。それに、敵とはいえ“ネプチューン”と対決するのは、非常に抵抗があった。誰よりも愛している人を、たとえそれが精密なコピーだとしても、手にかけるなんて。
 一時の思考をしていると、さらに目を疑うような光景が広がった。“ネプチューン”が幻術を使って複数人出現したのだ。その数10…20…30。どんどん増えていく。それらはトリトンには目もくれず、ウラヌス目掛けて四方八方からエネルギー弾をシュートし始めた。実体がどこにあるかわからない状態なので、砲撃は壮絶なものだった。

<< 今回は私直々にウラヌスの足止めをするわ。トリトン、今のうちにリードなさい。>>

 ウラヌスは“ネプチューン”の攻撃を超高速で全て回避して、風の壁…特殊シールドを作った。目を閉じて、“ネプチューン”の実体を探しているらしい。その間も“ネプチューン”の激しい攻撃は続いた。トリトンは動けずにいた。15秒後。目を開いたウラヌスは、シールドを解除して近接戦技をする構えで“ネプチューン”の人だかりの中に飛び込んでいった。そして最奥にいた“ネプチューン”の左胸に、素早く手刀を食らわせた。短い悲鳴と共に、幻術で出来上がった個体が、一つ、また一つと形を消していく。苦しみに歪んだ表情を見せて。トリトンはいても立ってもいられなくなって、ウラヌスと絡み合った“ネプチューン”の実体目掛けてダッシュした。
「来るな!まだトドメを刺せていない。」
 急ストップ。しかし“ネプチューン”はトリトンの方目掛けて手を伸ばしてきた。弱弱しい、そして優しい微笑みと共に。その様子を見たとき、トリトンはウラヌスの制止を振り切って“ネプチューン”を抱きかかえにいこうとした。それよりも早く、ウラヌスが超特大のエネルギー球を作って“ネプチューン”の身体を砕いた。
「ワールド・シェイキング!!!」
 プラネット風の超特大エネルギー球が、至近距離から“ネプチューン”に被弾した。原子レベルまで分解されていく“ネプチューン”の身体。再生する気配はなかった。一瞬の沈黙の後、ウラヌスはその場から立ち上がった。一抹の寂しさを覗かせて。トリトンのあまりの事態にその場にへたり込んで言葉を失っていた。ようやく我に返り、口を開く。

「もしあれが本物のネプチューン様だったとしても、ウラヌス様は同じことをなさいましたか?」
 ウラヌスは軽く首を回して、少しだけ考えるような素振りを見せた後、こう言った。
「そうだな。ネプチューンを操っている術者を殺してもネプチューンが正気に戻らないときは、この手にかけるだろう。それが王国の平穏を外部太陽系から守る僕達の使命だから。ん〜…。もしシミュレーション上での対戦だったら、誰であろうと真剣勝負で相手を打ちのめすな。相手がネプチューンだろうとね。手を抜くのは、僕の性分に合わない。」
 トリトンは、ウラヌスの戦士としての強い自覚に改めて驚いた。先ほどの戦闘で半分まで減ったウラヌスのエナジー量も、急速な勢いで回復している。戦闘後にちょっとトリトンと話をしているだけなのに、それがウラヌスにとっては良い“休息”になっているようだった。SSランクの実力とは、本当に末恐ろしい。そんなことを思っていると、ウラヌスがトリトンに手を差し伸べた。

「さ。またようやく同じポイントに立てたことだし、ゲームを再開しよう。僕との早駆けは、まだ終わってはいないよ。」
 トリトンはウラヌスの手を遠慮して、自分で立ち上がった。ここまででもう負けたような気がしてきた。ウラヌスは相変わらず余裕の表情を見せて、こう提案してきた。
「じゃあ、純粋に速さを競ってみようか…。飛翔力には自信があるんだろ?“pink bullet(ピンクの弾丸)”さん。」 
 そう言われて、トリトンの中の、ストライカーとしての血が騒いだ。勝ちたい。ウラヌスに勝ちたい。そしてネプチューンとの関係を解消してほしい。立ち上がったトリトンは、ウラヌスをまっすぐに見つめた。
「わかりました。」
「ここから先の順路は君も僕も良く知ってるから…。飛翔力の他に、テレポーテーションを併用してもいいよ。」  
 言い終わると、ウラヌスは土星方向を見つめた。
「次に双子座方向に流星が見えたら…。それがスタートの合図だ。」
 トリトンは少年のような返事をして、ウラヌスの横に立った。双子座方向の星が一つ瞬いて、流れ星となった。二人は同時に宇宙空間の海を蹴った。

 スタートダッシュはほぼ同じ。序盤、土星が米粒ほどの大きさで視界に入ってくるまでは、二人の間にそれほど差はつかなかった。しかし土星が見えた瞬間、ウラヌスは加速した。トリトンは引き離されまいと必死に駆けたが、距離は確実に開いていった。 

―――は、速い…!どんどん離されていく…。

 ウラヌスの駆け方はまるで風だった。風のように、自分の横を通り過ぎていく。止む無く長距離テレポーテーションをして、ウラヌスとの形勢を逆転する。土星と、その衛星達が見えてきた。再び駆け出そうとする。しかしすぐ次の瞬間、ウラヌスが眼前に現れた。同じく長距離テレポーテーションを使ったらしい。そしてまた風のように駆けて去っていく。トリトンは目を見開いた。

 ウラヌスに置いていかれたトリトンは、ひたすらその背中を追って駆け続けた。木星が米粒ほどの大きさで視界に入ってきたときには、ウラヌスの背中はもう見えなくなっていた。それでも、ただ全力で駆け続ける。負けたくなかった。

 木星付近に着いた頃には、A.I.デバイス“ウンディーネ”の声が聞こえた。

<< Uranus completed this mission. Completion. Please don't use a lot of energy immediately, Triton.(ウラヌスが任務を完了しました。終了。トリトン、ただちに多量のエナジー消費を止めてください。)>>

―――ええ?!! もうゴールしたの…?

 ウラヌスの見えない背中を思いながら、トリトンは落胆した。

 気づくと、仮想空間は解かれ、元のマリンステーション本部内訓練場にトリトンはいた。そこには、微笑むネプチューンと、汗一つかいていないウラヌスの姿があった。
「お疲れ様、トリトン。訓練は終了よ。」
 汗まみれでくたくたのトリトンは、ネプチューンからよく冷えたスポーツドリンクとタオルを手渡された。ウラヌスも同じものを持っていたが、もう1/3ほどドリンクを飲み干している。スタート前と変わらぬ余裕綽々な表情で、ウラヌスがトリトンの瞳を見る。
「いい勝負だったよ、トリトン。でも残念ながら、僕は風だからね。」
 トリトンはウラヌスの言葉で胸がちくりと痛むのを感じた。再三に渡ってリードするチャンスはあったのに、それを全て無駄にしてしまった。自信喪失のあまり閉口しそうになるのを堪えて、言葉を返す。
「くっ…。恐れ入ります、ウラヌス空将補。」
 それを聞いたウラヌスは満足そうに微笑んだ。負けた。負けたのだ。約束どおり、トリトンのネプチューンに対する想いは封じられなければいけない。敗北宣言をしようとして躊躇するトリトンを前にして、ウラヌスは再び口を開いた。
「これだけは言っておく。ネプチューンは渡さない。」
「ウラヌス様!」
「ウラヌス…。」
 ウラヌスは目を瞑り、自分に言い聞かせるように宣言した。
「たとえ宿命に抗えずセーラー戦士になろうとも、離しはしない。死ぬその瞬間まで一緒だ。」
「死ぬその瞬間まで…? …それはどういう意味ですか?」
「君には関係ない。」
 ネプチューンもその発言の真意がわからないらしく、不思議そうな表情でウラヌスを見つめていた。それからウラヌスは飲みかけのスポーツドリンクをネプチューンに戻して、急に困ったような顔になって笑った。
「ちょっと…。エアロステーション管轄下の区域に厄介な敵が現れたみたいだ。タイタニア達だけでは心配だから、僕はもう戻るよ。」
「ええ、今日はありがとう、ウラヌス。疲れてない?」
 ウラヌスは鼻で笑って、首を横に振った。トリトンより早くゴール地点に到達したということは、エナジーも体力も大量に消費したということなのに、それを微塵にも感じさせない。ウラヌスから感じられるエネルギー量はスタート前のトリトンの20倍に戻っていた。トリトンはまだ回復していない。それでも、先ほどのウラヌスの発言について疑問だったので、まだ帰したくなかった。
「まだお話が!今しばしお時間を。ウラヌス様! ウラヌス様…!! っ……。」

 金色のまばゆい光によって、ウラヌスの身体が包まれた。あまりのまばゆさに、頭上に手をかざして、トリトンはウラヌスがいる方向を見た。トリトンの発言は遮られた。ウラヌスが長距離テレポーテーションをしようとしている。
「気をつけて…。」
「ああ。ネプチューン、また逢おう。」
 それだけ言うと、ウラヌスの気配が海王星から消えた。



 ウラヌスとトリトンの早駆けが終了して、半年が経った頃。海王星のマリンステーション本部司令センター部隊長デスクには、トリトンがいた。クイーン・セレニティによってネプチューン達三人のセーラー戦士化は完了し、既に任務地である太陽系最外縁部へと送られていた。人々の記憶からも、ネプチューン達三人のデータは消されていた。当然、トリトンも例外ではなかった。いまや天海冥の部隊No.1のストライカーと評される、頼もしき指揮官となっていた。トリトンは心のどこかにぽっかりと穴が開いたような、何かとても大切なことを忘れているような想いに時々駆られながら、任務を黙々とこなしていた。ネプチューンという人の名前も想い出も、もう頭の中には残っていない。

 そうして幾千年の時が経った。以前と比べると太陽系外部からの侵入者はほぼ全くと言っていいほどなくなっていて、天海冥の星々の人々は平穏無事に過ごせていた。トリトンも半分平和ボケしそうな状態になっていたが、戦士としての綿密なトレーニングとソルジャーランク認定試験でSランクを取得することだけは止めなかった。そして飛翔力と長距離テレポーテーション能力を磨くことに余念がなかった。ここから月まで、それほどエナジーを消費せずに跳べるように。ウラヌスと早駆け対決をして以来、それは無意識にトリトンの習慣となっていた。誰よりも強く、誰よりも速く。太陽系外部からの侵入者を全て阻止し、内戦が勃発した際はムーン・キャッスルに一番最初に駆けつけて、王国を死守する。それが今のトリトンの信念だった。

 ある日、トリトンは非常に夢見が悪くて夜中に飛び起きた。ひどく傷ついた見知らぬ美しい女性が、手鏡のような武器を使って、敵を倒し、朽ち果てた星上で息を引き取るという内容だった。その人は緩くウェーブがかかった翡翠色の髪と、薄浅葱色の瞳を持ち、風変わりな、そしてボロボロの戦闘スーツを身に纏っていた。傷ついてはいたが、見惚れるほどに美しい美貌の持ち主。敵を倒し、スローモーションで倒れていくその人を、咄嗟に抱きかかえに行こうとする自分。しかし足が鉛のように重くて動かなかった。ただその人が、静かに死にゆく様を見ていることしか出来なかった。

「いやよ、ネプチューン…!!!」

 トリトンは無意識のうちに誰か人の名前を大声で叫んだ。そしてその自分の声で、目を覚ました。額に手をやる。寝汗をたくさんかいている。悪夢にうなされていた頭を、ブンブンと振る。一つ大きく溜息をつく。夢の感覚は、目が覚めてもまだ続いていた。自分で自分に、思考の停止を命じる。

―――忘れよう。シャワーでも浴びようかしら…。

 ベッドから抜け出て、室内灯をつけた。

 シャワーを使い終えて、裸体のまま冷蔵庫の前に立つ。何か冷たい飲み物が欲しかった。お気に入りのスポーツドリンクを取り出して、ボトルのまま口につける。一気に半分ほど飲み干したとき、突然嫌な予感が走った。戦士としての直感が、何かを教えていた。

―――敵…?

 その予感は正しかった。心臓の鼓動が早くなる。突然、私室に緊急アラートが鳴り響き、眼前に緊急通信画面表示要請マークが出た。トリトンは裸であったが、構わず許可ボタンを押した。

 ボタンを押すと、マリンステーション本部司令センターの主任オペレーターが画面に映った。その顔は、今まで見たことないほどに緊迫感に満ちていた。
『太陽系外部からの侵入者です!!』
「敵の数は?!」
『およそ50000。かつてない侵入数です。』
 トリトンは目を見開いた。50000とは桁違いな数だ。50の間違いではないかしら。そんなことを考えないでもなかったが、すぐに理性が“冷静になれ”とトリトンに命じた。
「方向は?」
『アンドロメダ大銀河!』
「アンドロメダ大銀河ですって…?!馬鹿な!不可侵条約を結んでいるのに。」
 アンドロメダ大銀河。その単語を聞いたとき、先ほど見た夢のヴィジョンが鮮明に脳裏に映し出された。敵を倒して、朽ち果てた星上に倒れて、一人静かに息を引き取る女性の姿。

―――誰…?

 トリトンは顔をしかめた。
「トリトン上級大将…?」
 オペレーターはとても不安そうな声で、トリトンに問いかけた。すぐに我に返る。
「何でもないわ。今すぐそっちに行くから、迎撃システムをフル稼動させて!」
「はっ!!」
 通信画面が消えた。トリトンは碧色の戦闘スーツに素早く身を包み、マリンステーション本部司令センターの部隊長デスクを迷いなくイメージした。

 40秒後。トリトンは部隊長デスクにいた。館内には緊急アラートが鳴り響き、夜勤の局員達が大急ぎで情報収集を行っていた。彼らの仕事ぶりは、迎撃システムをコントロールする者、敵のデータを集める者、宿舎に戻った隊員達に緊急通信をかける者の3つに分かれていた。トリトンは部隊長デスクから、迎撃システムの出力パワー強化を命じた。しかし戦況は思わしくなかった。
「敵軍は第三ゲートを通過。現在稼働中の無人防衛システムでは、応戦し切れません。」
 オペレーターが緊張のあまり、早口になりながら答えた。
「エアロステーションとは通信が繋がってるの?」
「はい。かろうじて回線が保たれています。しかし、電波系も侵食され始めているので、そう長くは持ちません。」
 トリトンはデスクの上で手を組んだ。
「クロノステーションは?」
「通信が途絶えています。カロン大将の安否は不明です。」
 浅く溜息をつく。
「当てにできない、か。仕方がないわね…。」
 館内マイクをONにする。
「マリンステーション全軍に告げます。エアロステーションの主力部隊との合流を許可します。陣形は、魚鱗の陣。全軍の指揮は、タイタニア中将に取って頂きます。副将はプロテウス。全軍、至急戦闘配置に着いてください。」
 オペレーターの一人が、ひどく驚いてモニターからトリトンの方に振り返った。
「ええ?!指揮はトリトン上級大将がお取りになるのではないのですか?」
 館内マイクをOFFにして、質問に答える。
「私は月に行って、援軍を要請してくるわ。仮に援軍を得られなかったとしても、銀水晶のお力を借りる必要がある。これは王国の存亡を左右する緊急事態よ。かつてない緊迫感を感じるの。皆もそうでしょう?戦士内で唯一空間転移能力が使える私が直接月へ交渉しに行くしか、方法がないわ。」
「…。」
 戦況を伝えていたオペレーターの一人が突然黙った。その間も、モニターには異常な早さで進軍してくる敵の姿が映し出されていた。トリトンは静かに口を開いた。
「首都星“月”との通信でも、電波妨害が出始めているのでしょう?多分、他の星よりもひどく。伏せていてもわかるわ。」
「申し訳ありません…。」
「いいわ。時間がない。プロテウスと今すぐ回線を繋いで。プライベート・モードで。」
「はい!」
 トリトンのデスクの周りを、半透明な仮想仕切―――高度防音システム―――が取り囲んだ。コンソールが開かれ、画面が待機モードから通信モードに切り替わる。程なくして、待機室で部屋着から戦闘スーツに着替える途中のプロテウスが映し出された。
「プロテウス。聞こえる?」
「ええ、よく聞こえます、トリトン様。」
 プロテウスはスーツを着る手を止めて、緊急通信画面の前に出た。
「さっき全軍に通達した通り、緊急事態よ。私がここに戻るまで、私の代わりに部隊を指揮して。」
 今日のプロテウスの待機室は、司令センター内に設けられていた。トリトンが休んでいるときは、プロテウスが司令センター内に残って、交代で太陽系外部からの侵入者監視を行うのが通例となっている。今は、緊急事態なのでテレポーテーションですぐ部隊長デスクに来れるトリトンが指揮権を握っているけれど。順調に準備してくれれば、プロテウスは3分以内に部隊長デスク前に出てこれるはず。
「出て行く前に、私がある程度敵陣を叩いていくから。今回はエアロステーションのタイタニア中将が将で、マリンステーションの部隊を率いるあなたにはその参謀役として振舞ってもらうわ。敵の数が多すぎるし、その力も強大なの。組織戦で戦うしかないわ。敵は…アンドロメダ大銀河の軍勢よ。」
「ええ?!!不可侵条約を破ったということですか?」
 プロテウスは、あまりの驚きでマリンステーションの腕章を取り落とした。
「そういうことね。クロノステーションとも通信が途絶えている。多分、壊滅的な被害を受けているはずだわ。私は月に行って援軍の要請をしてくる。」
 プロテウスは俄かに心配そうな顔になり、口を開いた。
「トリトン様…。今、月に行くのは危険です。地球国でも何やら不穏な動きがあると聞き及びますし。」
 トリトンは軽く笑った。昔から心配性のプロテウスを安心させるために。
「大丈夫。すぐ戻るから。心配することはないわ。それに…多分、私達の兵力だけでは、天海冥の結界ラインを守りきれないわ。今回ばかりはね。そう強く感じるの。」
 星間戦争に対応できる兵士は、衛星を守護に持つ者のみと限られている。戦力はS+ランクからB-ランクまで様々だが、全てかき集めても、マリンステーションで13、エアロステーションで27。足して40。トリトンが抜けている間は39。少ない兵力でどれだけ多くの敵を倒せるかが勝負の分かれ目となる。何にしても、首都星“月”から援軍を呼ばないことには、50000という敵数は捌き切れない。
「わかりました。トリトン様がそこまでおっしゃるのならば…。微力を尽くします。」
「頼んだわよ、プロテウス。」
「はっ!!!」
 プロテウスは決意に満ちた表情で、トリトンの命令を受けた。そこまで話が進むと、トリトンは通信プライベート・モードを解除した。仮想仕切が消えていく。戦況がどうなっているかをオペレーターに報告させる。オペレーターは興奮した声で戦況を伝えてきた。
「第五ゲートを通過されました! 無人防衛システムは全機破壊されました。敵軍の進行速度が異常に早いです。その数53890。まだ増え続けています。移動には空間の揺らぎを利用して進行している模様。このままでは、陣形が整うまで体勢を保ちきれません!」
 破壊される前に無人防衛システムが残した映像と、監視システムが追う今の映像が、正面の特大モニターに幾つも分割されて映し出された。画面で確認する限りでは、正常な空間に突然幾つもの揺らぎが生じて、敵の軍隊が現れていた。時空操作が出来る術者が複数人いることがわかる。見たところエネルギー放出系の敵はいないようだが、組織的な動きで無人防衛システムの被弾をかわし、それらを確実に破壊していた。武器は剣や槍、弓、斧などの旧式のものを使用している。それでも何より、数が多すぎる。
「…。わかったわ。陣形の変更を告げます。鋒矢の陣。今すぐ私が前に出て、陣形が整うまで時間を稼ぎます。」
「トリトン上級大将?!! そ、それでは…。」
 トリトンの声が聞こえる全ての部下が、その場で凍りついた。鋒矢の陣。それは少ない兵力で敵陣を突破するときに有効な陣形である。鋭く尖った矢のような陣形をしており、全軍で密集して、突撃隊を先頭に決死の覚悟で敵陣に突入する。矢印の先端部は戦力が集中し、例えば小部隊が壊滅するようなことがあってもすぐに次の部隊を補充できるようになるなどの利点があるため、敵陣を中央突破・かく乱するために有用である。この先端部は常に激戦となるため、ここには優れた前線指揮官が必要となる。 また、正面突破のみを考えて兵力を前面に向けて配置するため、側面や背面からの攻撃には全く備えがない。成功すれば敵に大打撃を与えられるが、失敗して敵軍に囲まれると、全滅の危険性がある。
「仕方がないわ。私が前に出て、ある程度敵を叩く。その後はあなた達だけで応戦して。これまでの敵とは明らかに違う。敵軍の方が、数で圧倒的に優勢。たとえ武器が旧式でも、これだけ多いと命取りだわ。こうなったら、一か八かよ。頼むから、私が戻るまで、皆なで持ち堪えて。私に命を預けて。」
 一時の沈黙の後、部下達は次々に頷き、こう宣言した。
「わかりました…。微力を尽くします!」
「それでいいわ。」
 
 トリトンはそこまで言うと、椅子から立ち上がった。海王星最外縁部の空間をイメージして、長距離テレポートを行った。

 3秒後。トリトンはマリンステーション管轄下最外縁部の僻地に一人いた。静寂の空間。漆黒の闇隙間。まだ、敵はここまでは進軍できていないらしい。無人防衛システムは最外縁部から少し離れたところに間隔を置いて五段階に分けて設置していた。それが全て破壊されたということは、ここに敵が来るのもそう遠いことではない。
 いつでも迎撃に入れるように、トリトンはエナジーを漲らせて集中力を高めていた。ここで倒れるわけにはいかない。ある程度敵陣を叩いたら、月に超長距離テレポーテーションして援軍を求めなければならない。テレポーテーションには、往復分のエナジーを残していなければならない。今のトリトンのエネルギー量で言えば、1/10を消費する。昔、懸念されていた回復力も、日頃の鍛錬のおかげで随分と早くなった。再びここに戻ってくるまでに、エネルギー量を2/3くらいまでには回復していたい。
 プロテウス達だけに戦況を任せてはいられない。ストライカーとしてNo.1と評される自分が、現場に不在でどうするというのだ。せめて首都星“月”との通信ラインが生きていれば、超長距離テレポーテーションなど行う必要はないのだが…。敵の狙いは、こちらが陣形を整える前に不意打ちを仕掛けて、各個体が分断された状態で一人ずつ確実に潰していくというもののようだ。そうでなければ、こんなに早い進軍スピードで攻めてくるはずはない。トリトンは気合を入れた。
 と、空間の揺らぎを複数点感じ取った。

―――来る…!!!

 身構えて、自分の周囲にエネルギー弾を多数用意する。敵は一人、また一人と空間の揺らぎから現れた。手には剣や槍を携えて、ぶつぶつと何か呟いている。

“月の王国に、永遠なる沈黙を。カオスへと、還れ。”

 トリトンはその言葉を聞いて、顔をしかめた。何かの暗示にかけられているのではないかというほど、敵は皆な同じ言葉を呟いていた。先手必勝。現れたばかりの敵にエネルギー弾をシュートし始める。トリトンの出方が読めなかった敵達は、エネルギー弾を受けて脆く崩れ去った。その数30。実戦では一度に100までの撃退経験がある。シミュレーション上では500。まだ余裕があった。敵の間を高速で移動し、次々にエネルギー弾をシュートしながら、トリトンは次なる敵の出現ポイントを予想し始めていた。時空操作が出来る術者を捕らえることが出来れば、それが一番有効な防衛策だが、術者の姿は見えなかった。恐らく、敵の本陣深くに潜んでいることだろう。しかしだからと言って、シルバーミレニアムの統治領外に出て、敵の本陣深くに切り込むことは憚られた。トリトンに生命エナジーを供給している衛星トリトンから、また銀水晶の加護が得られるシルバーミレニアム領土内をあまりにも離れてしまうと、生命エナジーの供給が一時的にストップする可能性があった。だから自分の土俵に上げてからしか敵を叩くことが出来ないのであった。
 
 小一時間ほどの戦闘の後。トリトンは約500体の敵を倒していた。敵の能力がそれほど高くないといえ、そろそろ体力的に削られてきていた。この後、月まで超長距離テレポーテーションをしなければいけないことを考えると、そろそろ切り上げ時に思えた。プロテウス達もそろそろ後方で陣形を整えていることだろう。確認のため、後ろを振り返ろうとする。
 しかしそのとき、主力部隊と思われる者達が空間の歪みから現れた。今まで倒した敵とは強さと速さが違う。高度を高めにとっていたトリトンは、敵の飛び蹴りで容赦なく吹き飛ばれた。立ち上がると、すぐに懐に別の敵が高速で潜り込んで、剣を突き刺そうをしてきた。トリトンは咄嗟に飛びのき、エネルギー弾を用意した。シュートしてみるものの、さっきまでのように容易には当たらない。そこでエネルギー弾の種類を追跡型に切り変えて、確実に当たるまで、逃げ回る敵達の後方を走らせた。追跡型のエネルギー弾の操作には、高い集中力と多量のエナジーを必要とする。予感。これから、もっと強い敵達が現れる。せめて目の前の敵だけでも…約100体だけでも倒していこう。その後は、月からの援軍と共に戦わなければ、多分歯が立たない。トリトンは追跡型のエネルギー弾を巧みに操作する一方で、目の前の敵に渾身の力を込めて拳をぶつけた。

 さらに小一時間ほど経った後、トリトンはようやく100体の敵を倒した。さすがのトリトンも敵の攻撃をかわしきれずに、傷を負っていた。致命傷は負わされていないが、切り傷と打撲の症状がひどかった。100体倒すと、敵の出現は止まった。それが一時的なものであることは容易に予想出来た。それでもプロテウス達が陣形を整えて敵に向かっていくだけの時間は稼げた。背後から、予定通り鋒矢の陣を組んだ天海の部隊が近づいてきた。前線指揮官はプロテウスらしい。トリトンの姿を認めたプロテウスは、加速してトリトンに近づいてきた。

「遅くなって申し訳ありません。あの後、エアロステーションとの通信妨害が発生しまして、陣形の編成に手間取りました。前線指揮官は私です。」
 トリトンは満身創痍の状態だったが、部下の律儀な報告を前に、ちょっと笑ってみせた。
「そう…。敵は強いわよ。後は頼んだわ。私が戻るまで、何とか持ち堪えてね。」
「はっ!!!」
 最前線の突撃隊には、エアロステーションからエアリアル中将が参加していた。エアリアルは、トリトンがこちらを見ているのを知って、敬礼の姿勢をとった。緩いウェーブがかかった、肩まで伸びた金色の髪。華奢な腰。このような大型の交戦や合同演習がなければ、滅多に顔を合わせることがない別部隊の相手だった。エアリアルの容姿が、トリトンに何かを思わせた。それは出動前に見た夢の中の少女の姿だった。

―――…? …ネ、ネプ………。?…??…。…。私、今なんて思ったのかしら。

 その単語は自然と脳裏に浮かんできて、同時に何だか切ない想いを感じさせた。トリトンは胸を押さえて、深呼吸した。その様子を見たプロテウスが、心配そうに語りかけてきた。
「どうかなさいましたか?」
 トリトンは努めて平静を装った。
「何でもないわ。」
 そこまで会話が終わると、空間に歪みが生じ始めた。一つはトリトンのすぐ背後に。歪みから、剣先だけが覗き、背後からトリトンの身体を切りつけた。プロテウスとの会話で緊張の糸が少し解れていたトリトンは、その攻撃をまともに食らった。痛さで思い切り顔を歪めるトリトンと、戦闘スーツを切り裂いて現れる大きな裂傷。眼前でトリトンが切りつけられるのを見たプロテウスは、すぐにエネルギー弾を用意して、トリトンの背後目掛けて全弾シュートした。バランスを崩して倒れていくトリトン。敵も不意の攻撃を受けて、その場で立ち往生した。一度は倒れたトリトンは、すぐに立ち上がって、散弾銃的なエネルギー弾を多数用意した。空間の歪みが幾つも生じて、そこから敵が現れ始めた。トリトンは200近い空間の歪みの位置目掛けて、コントロールを利かせながら、エネルギー弾を雨のように降らせた。

「Pink rain of bullets!! (桃色弾丸雨!!)」

 シュートは無事終了し、敵の出現は再び一時的に止まった。トリトンは予想外の負傷と多量のエナジー消費によって、膝を折った。
「トリトン様!!」
 プロテウスが、慌ててトリトンに駆け寄った。エアリアルは自分の持ち場から動かなかったが、心配そうにトリトンを見つめていた。トリトンはすぐに立ち上がり、それからプロテウスに笑いかけた。
「大丈夫よ…。まだ、月に行って往復するくらいのエナジーは残っているから。」
 立ち上がったトリトンは、もう一度エアリアルを見た。エアリアルは再び目を合わせられて、不思議そうに首を傾げた。その容姿を眺めていると、トリトンの中で切ない想いが込み上げてきた。同時に、夢の中で見た少女の姿が脳裏をよぎった。
 頭に閃光が走り、今まで重くのしかかっていた記憶の蓋が開いた。
 トリトンは目を見開いて、その少女の名を心で叫んだ。
 
―――ネプチューン…!!!

 緩いウェーブがかかった翡翠色の髪と、澄んだ薄浅葱色の瞳。落ち着いたアルトヴォイスと、華奢な作りをした身体。もう随分前に、会ったきりだ。いまはどうしているのだろう。思い出そうとすると、また頭に閃光が走り、記憶の蓋が開いた。 

―――セーラー戦士化?!! そうだったわ、ネプチューンはあのとき…。

 あのとき、ネプチューンはセーラー戦士の実験体になることをひどく拒み、月からの使者をエナジーを使って追い返していた。そうして三ヶ月ほど抵抗していたが、あるときバインド系の魔法に優れた使者が集団で現れ、ネプチューンの身柄を拘束してどこかに連れて行ってしまったのだった。それからすぐ後、クィーン・セレニティからトリトンにプライベート・モードで長距離通信が入り、ネプチューンが不在の間、天海冥の部隊を率いるように命じられたのだった。トリトンは、ネプチューンではなく自分をセーラー戦士化してほしいと申し出た。するとクィーンは緩く笑い、“ネプチューンが最後までセーラー戦士化を拒否した場合は、あなたを次の候補として起用するわ”と言った。トリトンは、ネプチューンがセーラー戦士化を最後まで拒否して、マリンステーションに戻って来てくれることを心から望んだ。
 それからさらに三ヶ月ほど経つと、トリトンの頭の中からネプチューンの記憶が突然なくなった。そして海王星のマリンステーション本部司令センターの部隊長デスクには、トリトンが着くようになっていた。誰もそれに違和感を覚える者はいなかったし、皆なの記憶からもネプチューンの存在は忘れ去られているようだった。

 刹那の回想の後、また空間に複数の歪みが生じ始めた。既に陣形を整えた天海の合同部隊が、全員エネルギー弾を用意して身構えた。プロテウスが声を上げた。
「トリトン様、ここからは我々が敵の進軍を食い止めます。いまのうちに、お早く空間転移をなさってください!」
 その言葉にトリトンは力強く頷いた。月に行く目的が一つ増えた。
「わかった。頼んだわよ、プロテウス。生きて必ずまた会いましょう。」
「はっ!!」
 そこまで会話が進むと、トリトンは土星とその衛星群を目の前にする自分をイメージした。




 海王星の最外縁部から、一気に土星までテレポーテーションしたトリトンは、土星のリングの前で一度立ち止まった。思わず膝を折る。傷ついた身体に鞭打って行った超長距離テレポーテーションによって、エナジーの消耗量が半端ではなかった。痛みの中、呼吸を整える。次の転移場所、火星をイメージした。だが雑念が入り、テレポートが中断した。ついネプチューンのことを思い出してしまっていたのだった。今どこにいるのか、セーラー戦士化は無事中止になったのか。それだけでも知りたい。そのためにも、早く月へ…。クィーンの元へ。行かなければいけない。頭を強く振って雑念を払い、火星を目の前にする自分を強くイメージする。



 5分後。トリトンはシルバーミレニアムの首都星“月”に到着した。ホログラムが作り出した美しい自然がトリトンを迎えてくれると思っていたのに、そこは荒廃した瓦礫の山と化していた。血を流して道端に倒れている人々。激しく炎上する家屋。何が起こっているのか、俄かには状況が飲み込めなかった。それでもともかく、ムーン・キャッスルへ…。クィーンの元に行けば、状況説明くらいはしてもらえるだろう。トリトンはムーン・キャッスルの前に立つ自分をイメージした。
 
 キャッスルの前には、人だかりが出来ていた。月の人々ではない。地球人だ。皆な手に武器を携えて、ムーン・キャッスル前の見えない壁目掛けて切りつけていた。恐らくクィーンが強力な結界を張っているのだろう。トリトンの突然の到来を受けた人々は、結界を壊す手を止めて、一斉にトリトンを見た。
「何だ、こいつは?!どこから現れた?!!」
「何にせよ、月の兵士の残党だろう。殺っちまおうぜ!」  
「そうだ、殺そう!忌々しい長寿の民め!!」
「殺せ!!!」「殺せ!!!」
 無数の刃がトリトンに一斉に向けられた。手負いのトリトンは、キャッスルの入り口方向に後ずさりしながら、力を使うかどうか迷っていた。シルバーミレニアムは地球国の母なる存在。“地球をより良い方向に進化させる”ことが月の民の使命。“子供”に刃を向ける“母親”が在ってはならない。だが今は“子供”が向ける刃が“母”に襲いかかろうとしている。それも有ってはならないこと。トリトンは思わずまた後ずさりした。すると、身体が結界の中にすうっと取り込まれていった。

 1秒後。何が起きたのかはわからなかったが、トリトンはムーン・キャッスルの中にいた。結界の外では、悔しそうに、そして狂ったように、結界の壁に切りつける無数の地球人達が見えた。トリトンはくるりと向き直った。ムーン・キャッスルの中心部に向かって、宮殿内をひた走る。

 いつもクィーンと謁見する際に利用される“鏡の間”には、クィーンの姿はなかった。四守護神の姿もプリンセス・セレニティの姿もない。誰もいない宮殿。トリトンは宮殿内を走り回るのを止めて、クィーンのエナジーを感じ取ろうと神経を研ぎ澄ました。一時の沈黙。微かに、宮殿最奥部と思われる場所にクィーンのエナジーが感じ取れた。そこは、トリトンが知らない場所だった。テレポーテーションは使えない。すぐにでも会いたい衝動を抑えて、エナジーの出所を辿って風のように宮殿内を疾走してゆく。海王星最外縁部での戦闘で敵に切りつけられた背中の傷からの出血量は、もう随分なものだった。戦闘スーツからは血が染み出て、走り行くトリトンの背中から、ポタリ、またポタリと落ちていった。

 宮殿の最奥部に近づくにつれて、クィーンのエナジーを強く感じるようになってきた。辿り着いたトリトンの前には、古代紫の大きな扉があった。そこは一度も訪れたことがない場所だったが、中にクィーンが居る可能性が高かった。扉の上のプレートを見ると、“祈りの間”と記されてある。クィーン以外が入ることを許されない聖域である。しかし、今は有事。内憂外患の事態。一刻も早くクィーンに謁見して、援軍を要請する必要があった。 

―――無礼をお許しください…!

 鋼鉄の扉を力を込めて押してみる。ロックがかかっている。それでも諦めずに、クィーンの名を叫びながら、扉を叩き続けた。数分ほどそうしていると、中からカチッと音がした。試しに扉を押してみる。わずかだが、中に開いた。トリトンはありったけの力を込めて、鋼鉄の扉を押した。背中の傷が痛んで、一瞬意識が霞みかかった。それでも無理矢理扉を押していった。扉は、重々しい音を立てて、ゆっくりと内側に開いていった。扉が開くにつれて、中から強烈な光が漏れてきた。トリトンは顔をしかめながら、それでも全体重をかけて扉を押し続けた。扉が全開すると、そこはあたり一面光り輝く部屋が現れた。ホライゾン・ブルーの輝き。床も壁も、一面にクリスタルが敷き詰められていて、光り輝いている。中央には、やはり同じクリスタルで出来た大きな塔があり、その前で人が一人跪いていた。銀灰色の聖衣の上を、床に付くほどの長い髪が這っていた。

「クィーン・セレニティ!」
 トリトンは扉の向こうに歩を進めた。背後で、扉が独りでに閉まっていった。名前を呼ばれたクィーンは、すっと立ち上がった。銀灰色の聖衣が揺れる。こちらに背を向けていたクィーンが振り向いた。白銀の瞳が、傷ついたトリトンにまっすぐ向けられる。
「…。その傷は」
 クィーンの低く良く通る声が、室内に響いた。トリトンは肩膝をついて、胸に手を当て、クィーンに敬意を示した。そして月にテレポーテーションしてきた理由を話し始めた。
「アンドロメダ大銀河の軍勢が、不可侵条約を破って侵攻してきました。もはや我々だけでは応戦しきれません。援軍の要請を、と思ったのですが…。この惨状は一体……? プリンセス達はご無事で…?」
 白銀の瞳が閉じられた。一時、静寂が祈りの間を支配する。
「プリンセスは死んだわ。四守護神も。地球国が反乱を起こしたの。いま、皆なは特殊転移装置の中で眠っている。来世での幸せをその胸に託して…。」
 トリトンは思わず顔をあげた。
「そんな……。」
 しばし、言葉を失う。“希望の光”―――プリンセス・セレニティの死。それは王国の滅亡を意味していた。これ以上、自分が戦い続ける意味はあるのだろうか。しかし今も、天海の結界ラインではプロテウス達によってアンドロメダ大銀河の軍勢と激戦が繰り広げられているはず。それなのに、月から援軍を派遣してもらうことが出来ない。悔しさに、目から雫が落ちた。
 ふと思い出して、ある女性の名前を口にする。
「! ネプチューン様は?!!」
「え…?」
 白銀の瞳が開いて、わずかに眉を寄せた。トリトンはクィーンに対する敬意の姿勢を崩して、いきなり物凄い剣幕でクィーンに詰め寄った。
「ネプチューン様はどうなさっているのですか?!!ネプチューン様の代わりに、私をセーラー戦士化してください!ネプチューン様のセーラー戦士化は諦めて、私を実験体としてお使いください!!お願いです…!!」
 クィーンはまた目を瞑った。諦念に似た感情を漂わせて。
「トリトン…。あなた、記憶を取り戻してしまったのね…。皆、銀水晶の力で忘れさせたつもりだったのに…。それだけあなたがネプチューンを想い慕う気持ちが強かったということかしら。」
 トリトンは必死に食い下がった。
「お願いです、クィーン…。ネプチューン様に、終りなき戦いの苦しみを味わわせないでください…。私が代わりを、喜んでお引き受けします!」
 そして少し小声になって、こう付け足した。
「ウラヌス様との関係を密告したのも、ネプチューン様にそんなお辛い思いをさせないためです。」
 クィーンは無言だった。先ほど僅かな変化を見せた白銀の瞳には、月の表面と同じように冷たく光っていた。トリトンはなおも言葉を続けた。
「ネプチューン様は今どうしておられるのですか?」
 閉じられた瞳が、また開かれた。今度はまともに返事をしてもらえた。
「ネプチューンも皆と一緒よ。もう、彼女のセーラー戦士化は完了しているの。そして、任務を完了して眠りについたわ。」
「ま、まさか、アンドロメダ大銀河の大軍とお一人で戦われて…?!!」
「そうよ。トリトン・キャッスルで、太陽系最外部の外敵侵入阻止の任務に就いていたわ。」
「そ、それでは…。このシルバーミレニアムは…。」
「終りよ。そして、新しい場所での“再生”に望みを託す。」
「“再生”? …、…。っ…。うっ……。」
 再生という言葉を聞いてトリトンは首を傾げた。直後に、身体から急に力が抜けていくような錯覚に陥った。身体への生命エナジーの供給が止まりかけている。それは、エナジーの供給源である衛星トリトンが、アンドロメダ大銀河の軍勢の手によって占領されつつあることを意味していた。

―――プロテウス、皆な…。持ち堪えきれなかったんだ…。ごめん………。

 塔の前に佇んでいたクィーンが、不意にムーンロッドを振りかざした。身体に力が入らない。
「トリトン。ここまで良く戦ってくれたわ。礼を言います。」
 淡い光がロッドに集まり始める。クィーンが何をしようとしているのかは予想できなかったが、何にせよ今のトリトンの疑問に答えてくれるような状態ではなかった。薄れ行く意識の中、トリトンはありったけの気力を振り絞って、訴えた。
「っ…。待ってください、クィーン! せめてネプチューン様に会わせて下さい。…、…。クィーン…。クィー…ン…!! クィー…。…、…。」
 クィーンは静かに、そして、しっかりとロッドを高く振りかざした。次の瞬間、祈りの間全体を強烈な白銀光が包んだ。光は二人を一時ばかり包み込んで、それから砂粒のようにキラキラと飛散していった。トリトンは、頭が後ろに思いきり引かれていくような錯覚に陥り、意識が飛んだ。



 トリトンの身体を抱いたクィーンは、特殊転移装置のある部屋に歩みを進めた。そこには9個の転移ポッドと4つの遠隔操作特殊転移装置が並んでいた。それぞれには“Mercury”“Uranus”“Luna”などのプレートが付けられてある。その中で、一つだけラベルがないプレートを付けた転移ポッドがあった。クィーンはそこで立ち止まり、中のベッドにトリトンを横たわらせた。
「せめてもの、罪滅ぼし。トリトン。ネプチューンとウラヌスのことを、頼みます…。あなたが、一番最初に彼女達を見つけて、引き合わせるのですよ。」
 目を閉じたトリトンの顔を見ながらクィーンは独り言のようにそう言って、緩く微笑んだ。

 それから再びムーンロッドを振りかざし、ロッドの先端にかつてないほど強力な光を集め始めた。
「プリンセス…。来世でのあなたの幸せを、私は此処から見守り続けます…。」
 崩れ行く宮殿の各部。地震のような揺れと破壊音。ムーン・キャッスル周囲に張られた結界がもう限界を迎えつつあるらしかった。“Princess”と書かれたプレートを持つ転移ポッドを見ながら、クィーンは優しく微笑んだ。それは王国を統べる最高権力者としての顔ではなく、一人の母親としての笑顔だった。祈りの間の建物内部に亀裂が走る。クィーンはロッドを高く高く掲げて、戦い終えた戦士達の転生に向けた特殊な呪文を唱え始めた。



 トリトンとして戦い続けた人生から、気の遠くなるような時間が経った後。トリトンは地球人として転生し、エルザ・グレイという名を持って地球で平穏に暮らしていた。セーラー戦士として結局覚醒することがなかった彼女には、前世の記憶は付加してこなかった。そのことが幸か不幸かはわからなかったが、知らず知らずのうちにクィーン・セレニティの最後の命令を遂行していた。

「ごめんねー、みちる。あんなつもりじゃなかったんだけどさ。」
 陸上競技場からの帰り。エルザは本当に申し訳なさそうに、謝ってきた。みちるは努めて微笑んだ。
「いいのよ、エルザ。天王さんとお話できただけでも、十分だわ。」
 エルザは目を丸くした。お気に入りのスポーツドリンクを飲む手を止めて、困惑の表情を見せる。
「えー?!だって、絵のモデルになってもらうって話、引き受けてもらえなかったじゃない?」
「それでも良いの。私、あの人と話せただけで嬉しかったわ。」
 怪訝そうな面持ちと、嬉しそうな笑顔。対照的な二つの表情が、夕刻の都心の路上に浮かんでいた。
「そう…。みちるがそう言うんなら、良いんだけど。端から見てる分には何だか歯がゆかったなー。」
 歩きながら、エルザは、うーんと伸びをした。エルザが短距離走のトラックで負けるなんて、これまでなかったこと。きっと心のどこかに大会で負けたストレスやリベンジ意欲が湧いているだろうに、今はそれを微塵にも感じさせてこない。エルザの心情は、みちるのことに傾いているようだった。みちるはそれを察して、エルザの好意に恥じないように、努めて素直に真情を吐露した。
「そうかしら?私は天王さんと話せて、色々と収穫があったのだけれど。」
「収穫?」
「ええ。」
 エルザの表情はくるくると変わる。一時だけ気難しそうな顔になったかと思うと、すぐ“降参”というように両手を軽く広げて、首をすぼめて、お手上げポーズをした。
「ふーん、良くわかんないわ。」
 即座に降参した後のエルザの言行は早かった。
「大会も終わったことだし、帰りにどこか寄ってかない?」
 みちるは笑った。
「いいわ。エルザの好きなところに行きましょう。」
「よーし。じゃあ、この前デパ地下にオープンしたクレープ焼き屋さんに行こう!」
「エルザ…。あなたって本当に、食べることばっかりだわ。健康優良児って感じね。」
 みちるはまた笑った。今度は声を上げて。
「何よー、もう。」
「ふふふ。」

“ありがとう、エルザ。私と天王さんの面識を作ってくれて。”

 夕刻の中。心の中で、みちるはエルザに感謝の言葉を呟いた。

―――ありがとう、トリトン。ウラヌスとネプチューンを引き合わせてくれて。

 Fin.
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※この作品は、フィクションです。作品中に登場する名称や出来事は、実在の人物や出来事と一切関係ありません。