| 僕はいつも苦痛に感じていることがあった。みちると一緒に外を歩いているときの周囲の視線に対してだ。皆な、好奇の目で僕達を見つめてくる。僕達の顔を知っている人は特に、サインを求めると同時に二人の関係まで口上に上らせる。こちらの深い事情も知らずに、「本当に、宝塚みたいだわ…。」「凄いわ。素敵なお二人だわ…。」と口走るおばさん集団にも何度か遭遇したことがあった。僕が宝塚の男役にでも見えるのだろうか。写真週刊誌やワイドショーで、時々僕達の名前が上がっていることも、事務所関係者やフリーク、同僚達を通して知らされていた。僕はそういう問題に対処することにうんざりしていた。もっとそっとしておいてほしかった。だからデート場所も、人目を憚って、お互いの自宅ということが多くなっていた。 まだまだ今の日本では、僕達の関係は「友達」「親友」という言葉でしか表すことが出来ないのが現状だ。みちるの方は、「ご想像にお任せしますわ。」とマスコミにもファンにも涼しい対応を見せているが、僕の方は「恋人、あるいはそれ以上。」と言う自信は、今はまだ持てなかった。法整備も追いついていない。それでも記者やファンの人達にとっては、僕達の関係は“格好のネタ”…――ネタの宝庫――といったところなのだろう。特にワイドショーがネタ枯れする夏頃に追求がひどい。面白がっている人もいるし、一種の拒絶反応を示す人もいる。僕は嫌々ながら、事ある度にその対応に追われてきた。“パパラッチ”という言葉も人も大嫌いだった。 それでも今日は久しぶりに、二人で街に出た。みちるの要望があったからだ。まだ宵のぬくもりが残るベッドの上で、みちるはこう言った。 「しばらく我慢していたけれど…。たまには、はるかと一緒に街を歩きたいわ。私は、誰に見られても大丈夫よ。はるかは…どうかしら?」 僕は、またこの前のように記者が近所で張り込みを続けているのではないかと心配になったが、みちるの笑顔をみていると「うん。」と言わざるを得なくなった。艶のある優しい笑顔を壊したくなかった。 海王洲にある新設の水族館と美術館、そしてDVD/CDショップ。文化・芸術関連施設が集中する海王洲は、それらの観光スポット巡りに十分事足りた。みちるの自宅――海王洲コンドミニアムタワー――から程近いことも好都合だった。僕達はシャワーを浴びて軽い朝食をとった後、みちるの自宅を朝11時に出発した。 しかし。どんなにお忍びでデートしているつもりでも、情報は漏れてしまうもの。今日も一人、みちるのファンを名乗る人が僕達のデート情報をどこかで押さえて、みちるの前に現れた。みちると僕は、DVD/CDショップで新作のクラシックCDを眺めていた。だがその店に入って以来、僕達を遠巻きに見つめる男性の視線を、僕はずっと感じていた。正確に言えば、みちるの自宅を出た頃から、誰かの視線を少し感じていた。戦士の直感はノーと答えたが、僕はなぜだか落ち着かなかった。みちるの方は、何も気にしていない様子だった。 ショップの中で男性は、物理的な距離を少しずつ縮めてきて、僕達の前に現れた。20代から30代前半で、眼鏡をかけていて、色の濃いジャケットを着た細身の人。狐目の釣り目。肩まである癖毛を一束ねにした髪型。音楽家風の人だった。みちるが会計を済ませて、クラシックコーナーを離れようとしたとき、その男性は意を決して話しかけてきた。 「はじめまして。海王みちるさん…ですよね?」 みちるは、はい、と認めた。お揃いのサングラスをかけていても、意味はなかったようだ。男性は、興奮して嬉しそうに、話し始めた。 「私は貴女のファンで、門木といいます。先日のサントリーホールでのコンサートへも足を運びました。いつもながら、素晴らしい演奏だと思いました。 …。あの…。サイン、宜しいですか?」 みちるはにこやかに応対し、渡されたマジックペンで、門木さん持参のみちるのCDにサインを施した。それから営業用のスマイルでその場を乗り切ろうとした。しかし門木さんは、まだみちるから離れる素振りを見せなかった。僕の方を見て、奇妙な顔つきになった。 「こちらは…。天王はるかさんですか?」 僕は一瞬躊躇ったが、「違います。」と即答して、曖昧に笑った。「そうですけど…。」などと言って、話をこじらせるつもりはなかった。はやくこの場を終わりにしてしまいたい。みちるもきっとそうだろう。しかし門木さんは怪訝そうな面持ちになって、僕を凝視して、沈黙した。何か悪いものでも見ているような目つきだった。僕にはそのときの沈黙が重苦しく感じられて、二人から顔を背けた。サングラスの意味が全然ない。 そして彼はみちるに注意を戻して、彼女との物理的距離を心持ち縮めてきた。先ほどとは違って、声を潜めて話し出す。けれどもその声は、僕の耳にもしっかりと届く音量だった。わざとだったのかも知れない。 「週刊誌で散々叩かれていらっしゃるのに、まだこんなお方とお付き合いなさっていたのですか? 悪いお噂が立つだけなのに…。演奏家としての海王さんの素晴らしさが曲げられてしまうだけだと私は思います。一ファンとして、それはとても残念なことです。」 “こんなお方?”…僕のことか。僕は嫌な予感がし始めた。みちるの方を見ると、サングラス越しに曖昧な表情を作って、笑っている。僕は苛立った。門木さんはなおも言葉を続けた。 「こんなことをここで言うのも何ですが…。私で宜しければ、幾らでもお相手させていただきますよ。私は最近、海王洲 その発言を聞いて、僕は反射的に門木さんに嫌悪感を感じた。僕達の仲を引き裂こうとする悪魔にも思えた。もちろんそんな光景に遭遇するのは、今日が初めてではなかったのだけれど。今日の男性の言行はストレートだった。パパラッチ並みに。僕の面前で、初対面のみちるを堂々と口説いているし、僕達の私生活にまで土足で踏み込んできている。僕はそのことが頭にきて、思わず顔を上げてしまった。みちるに一生懸命話しかける門木さんの姿が、声が、癪にさわった。 みちるはといえば、ファンからのありがた迷惑な忠告を受けても、凛とした表情で笑っていた。サングラスを外さぬまま、もう片方の手に、買ったCDを持ち替えて、こう答えた。 「色々とお気遣いありがとうございます。でも、貴方がご心配になる問題ではございませんので…。仕事とプライベートのことは、分けて考えて下さると助かりますわ。どうか、演奏家としての私の活動だけを追いかけてください。これからも応援宜しくお願い致します。」 そういうと、みちるは僕の方をみて、「(お店を)出ましょう。」とアイコンタクトを取ってきた。サングラス越しでもそれはわかった。僕は彼女の指示に従って、店の出入口方向へ歩き始めた。みちるはその後ろを音もなく、静々と付いて来る。門木さんは、そこに突っ立ったまま、しばらく僕達の後姿を見つめていた。 ♪ 40分後。僕達は行きつけのカフェで、お茶を楽しんでいた。みちるはいつものダージリン。僕はサントス。さしあたって何も話すことはなかったが、先ほどのみちるフリークの男性の言葉が頭の中でリフレインした。 ―――週刊誌で散々叩かれていらっしゃるのに、まだこんなお方とお付き合いなさっていたのですか?悪いお噂が立つだけなのに…。 「さっきの男の人…、門木さんだったかな。言い方がひどかったよな。みちるのことも、僕達のことも…。まあ、みちるの熱心なファンだから、あんな風に考えても仕方ないのかも知れないけど……。僕はちょっと頭にきちゃったけど、みちるは大丈夫だった?」 たまらず、僕は口を開いた。紅茶を口に運んでいたみちるは、思い出したように頷いて、カップをサーバーに戻した。胸元で翡翠のペンダントが少し揺れる。 彼女は落ち着いた声でこう言った。 「大丈夫よ。はるかさえ良ければ。何と言われようとも…。」 僕は気持ちがまだ収まらなかった。そのまま、その気持ちをみちるにぶつけてみた。 「僕が男だったらさ…。こういうことは考えずに済んだのに。…ごめん。」 彼女の顔は笑ってはいたが、一瞬表情が曇ったように感じられた。僕はといえば、何だか落ち着かなくて、カフェの出窓を眺めたり、みちるの胸のペンダントを眺めたりしていた。たとえ僕の過失じゃなかったとしても、みちると僕の関係が、熱心なフリーク達から誤解されていることが悔しかった。 みちるは紅茶を半分ほどカップに残したまま、真顔になってこう言った。 「謝らないで。前にも言ったでしょ。『はるかは、はるかよ。たまたま女だったというだけの話で』って…。後悔なんて全然してないわ。負い目だって感じていない。だって、はるかを守るために"セーラーネプチューン"という運命が変わるくらいの選択だってしてきたんだもの。ヴァイオリニストになる夢だって、一度は投げ出したのよ。だから…“何をいまさら”って思うのよ。私ははるかと一緒ならば、どこでも大丈夫なのよ。誰に見られたって、何を言われたって、記事に書かれたって大丈夫。サングラスや目深帽だって、外してもいいわ。」 そういうと、みちるは本当にサングラスと目深帽を外して、テーブルの上に置いた。 僕はその言行を受けて、みちるの覚悟の強さを改めて思い知った。ふと、サーキット裏で初めて彼女の戦う姿をみたときのことを思い出した。戦い終わった後、傷ついた姿で、泣きながら僕に戦士になった経緯を話してくれたことも思い出した。僕を守るために戦士の道を選んだという、彼女の言葉には、一つの偽りもなかった。 しばしの回想の後。僕は思わず苦笑して、薄浅葱色の瞳と向き合った。 「…、…。そうだったな。僕も、そのとき『じゃ、みちるはみちるで良いかな』って答えたんだった。みちるが大丈夫なら…。僕も…、大丈夫かな。…うん、大丈夫だ…。でもサングラスは外さないよ。」 安堵の表情を作りながら、それでもまた一言「ごめん。」と呟いてしまう。みちるは苦笑しならがら、僕を慰めた。心が落ち着いてくると、カフェのBGMも程良く耳に届き始めた。 僕のかけがえのない人。それは“海王みちる”という才女で、たまたま女だったということ。男にも女にも、みちるの代わりになる人などいない。僕は以前に、そう自分に言い聞かせたじゃないか。みちるもそう、答えてくれたじゃないか。僕のつまらぬ思考に付き合って。 僕達は、月の王女の思い通りにはならない。 セーラー戦士として覚醒するか否かは自分達の意志で選んだことだし、お互いの関係も自分達の意志で築き上げてきたものだった。月の女王に仕向けられた恋ではない。僕達が自分で選んだ人生であり、恋愛であるのだ。たとえ王国則では禁忌に当たろうとも、現世でもゴシップネタとして騒がれようとも。時代は変わっても、僕達を取り巻く環境は大して変化していない…。それならば、僕がネプチューンを、みちるを愛する決意を曲げる必要は全くない。曲げて良いことなんて、一つもない。僕の束の間の幸せは、常にみちると共に存在するのだから。 前世でのウラヌスの想いにも、いつまでも負け続けているわけにはいかない。ウラヌスは、転生した僕にみちるのことを…。ネプチューンのことを、容易に思い出させないくらいに深く、ネプチューンを愛していた。思い出せば、ネプチューンとまた離れなければいけない定めにあったし、それは彼女を不幸にすることと信じて疑わなかったからだ。だからエルザ・グレイにみちるを紹介されるまで、みちるがどんなに僕に近づこうとも、僕はみちるをネプチューンとして認識することが全く出来ないでいたのだった。 そうだ、いつまでも僕は、ウラヌスに負け続けるわけにはいかない。 みちるは僕のただ一人のパートナー。一番の、かけがえのない人なのだから…。 僕が幸せにする。僕と一緒に幸せになる。みちるがそう願ってくれるのならば、たとえこのひとときが、束の間の幸福だったとしても。僕は彼女と共に、光に向かって歩き出す。 思いを新たにしながら、サントスを全部口に含んで、カップを置く。一つ深呼吸して、口を開く。 「そろそろ外も暖かくなってきたから、海辺をドライブっていうのもいいな。行くかい?」 ええ、とみちるは言い、柔らかく笑った。僕はカフェの勘定書ホルダーを掴んで、軽く笑った。 Fin. |
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