| ♪ 恋の病は、神様でも治せない。私はその病気にかかってしまっているようだ。 もう長いこと、ずっと…。 天王はるかという人物。私は、興味本位で彼女に近づいたわけではない。あの人がセーラー戦士だと気づくずっと前から、強く惹きつけられていた。何らかの力によって。この…気持ち。家族にも友人にも抱いたことのないこの気持ち。あの人を守るためならば、私は何だって出来る。それが、私がセーラー戦士として覚醒した理由だった。
登校途中。そんな回想や後悔の念に駆られながら、私は車窓から街を眺めていた。武蔵野の丘の上に着いたところで、若い運転手が運転する車から私は降りた。校門から入って、緩やかに蛇行する道を進む。突き当たりに、二股の分かれ道。小さなお庭と池、そしてそれを取り囲む小さな森。その中心に立っている真っ白なマリア像の前で、手を合わせる。目を開けると、隣にはクラスメイトの雪野 藤さんが立っていた。 「ごきげんよう、みちるさん。」 「ごきげんよう、藤さん。」 藤さんはニッコリと笑って、鞄を持ち直し、分かれ道を左に進んで、校舎の方に向かって歩き始めた。私もその後に続いて、歩き始める。新緑の銀杏並木がさわさわと揺れる。頭上から落ちてくるかも知れない毛虫に注意しながら、一歩一歩、注意深く構内を進む。予感。どこに目を凝らさなくても、今日は海が荒れているのがわかる。風もかなり騒いでいるから、多分間違いない。今日も恐らく、あの街のどこかで、怪物が現れるだろう。マリア様に守られているこの学園の生徒には、関係のないことだけれど。また…“お仕事”のようだ。 私立S.S女学院。カトリック系の女子校として長い歴史を持つ我が校は、幼稚舎から大学、大学院まで一環教育が受けられる乙女の園。時代が移り変わり、元号が明治から三回も改まった平成の今日でさえ、十八年通い続ければ温室育ちの純粋培養お嬢様が箱入りで出荷されるという仕組みがいまだ残っている貴重な学園である。運動部をみれば、天王はるかさんのようなボーイッシュな女の子はたくさんいる。その人達のフリークもたくさん存在する。なぜか、私のフリークの女の子達も。けれど、そんな人達には私の心は何も反応しない。周囲が私のことをどう騒ぎ立てようとも…。そう、特に新聞部が私のことをどう書きたてようとも、私の目はあの人一人に向けられていた。 “はるか…。” 校舎を目指しながら、私は心の中で呟いた。銀杏並木が再び揺れる。その中に、桜の木が数本。場違いとしか言いようのない場所に、葉桜として存在していた。その桜は、どこか私に似ている気がする。この世界に適合しない、悪い子羊として。この世界は概ね正しい。だとすれば、私はそれに適合しない悪い子羊なのだ。 “はるか…。” もう一度、心の中で呟いてみる。いつか、彼女のことを名前で呼んでみたい。天王さんじゃなくて、名前で。 “Far away.” 名前の通り、遠くに行かないで。これ以上、私を独りにしないで。 それは私自身の意思なのか、前世の記憶…ネプチューンの意思なのか。判別がつかない。“恋”という言葉で片付けるのは簡単だけれど。 と、思いながら道を歩いていると、叢の中からからカシャンッというカメラのシャッター音がした。大方、写真部の武嶋 蔦子さんだろうと見当はついた。立ち止まって叢の方を見る。カメラの主は観念したかのように、スッと立ち上がって、私の前に現れた。 「ごきげんよう、みちる様。」 「ごきげんよう、蔦子さん。あなた、相変わらず隠し撮りの趣味が直らないわね。」 「いやー、恐れ入ります。私のシャッター音に気づくのは、みちる様くらいなのですけどね。他の方は、撮られたことに気づきもしません。今の写真、今日一番の出来だと自負しております。現像を待つまでもなく、そう確信しています。今度開催する新聞部との合同パネル展に出展させていただいても宜しいですか?」 「結構よ。」 「ありがとうございます。最近のみちる様の表情といったら、カメラマン冥利に尽きるくらい素晴らしくて、拝顔する度にシャッターを切らせていただいています。」 「まあ。」 「さてはみちる様…。誰か好きな方がお出来になりましたね?」 「さあ、どうかしらね。ご想像にお任せするわ。」 「そうですか。深入りは禁物ですね…。というか、これは新聞部の領分ですね。」 蔦子さんはそこまで言うと、きちんと礼をして、私の傍から離れた。また茂みの中に隠れていく。朝拝が始まるぎりぎりの時間まで、ああやって隠れて写真を撮り溜めていくつもりなのだろう。溜息混じりに、私は心の中で笑った。蔦子さんにまで、見抜かれていたなんて。 そう、私は恋焦がれている。安らかな乙女の園で、甘いひとときを貪れる子羊の身分を捨てて。自ら荒波の中に飛び込もうとしている。冷たい風が吹き荒ぶ荒野に出て行こうとしている。あの人が、そこに行こうとしているから。時は動き出した。もう、後戻りは出来ない。それでも私は、あの人を助けたい。あの人を束縛する全てから。再び回り出した運命の歯車から、あの人だけは救い出してみせる。 “世界の終末”“前世の記憶”なんて…。そんな大層なお膳立て、私は望んでいなかった。馬鹿馬鹿しくてやっていられない。 『馬鹿らしい。僕は日本初のジュニアレーサー、天王はるかさ。前世の記憶も、世界の終末も、僕には関係ない。誰かがやらなければならないなら、君がやればいいさ。』 そうね、その通りだわ…。あなたには何も関係のないこと。私一人が、全部背負えばいいことだった。そうするつもりだった。でも…。私の中の何かが、事ある毎にその想いに抗った。私はそれを阻止できなかった。突然、ナイトクルージングの招待状を送る気になってみたり、せっかく来てくれた天王さんに挑発的な態度をとってしまったり。お稽古事を放り出して、遠いサーキットや陸上競技場に出掛ける気になってみたり。果ては、あの人を覚醒させてしまったり。 私はただ、あなたがいるこの世界を守りたかっただけ。他の人がどうなろうと知ったことではなかった。そう、さっき挨拶してくれた藤さんだって、蔦子さんだって。“その他大勢”の一人なのだ。私はただ、あなたの手を一切汚したくなかっただけ。あなたの一番近くで、あなたの清らかな姿を見ていたかっただけ。あなたが“その人”だとわかったときは、なおさら強くそう思った。私はどんなに汚れても良かった。私の存在になんか気づいてもらえなくても良かった。気づいてもらうことが苦痛ならば、なおさらだ。ただ、あなたが平穏に暮らせればそれで良かった。それだけなのだ。“正義の味方”なんて安っぽい言葉は、私には全然あてはまらない。 今、悟った。 負けたのだ。前世のネプチューンの想いに。戦士としての宿命に。 愚かなりし我が心。 メシアよ。私があの人を求めることは、罪なのですか。 メシアよ。私があの人を守ることは、業なのですか。 メシアよ。私を救いたまえ。 古ぼけた校舎が見えてきた。穢れを知らない少女達が、天使のような無垢な笑顔を見せて、優雅に朝の挨拶を交わす。私は下足箱へと向かい、通学靴を脱いだ。再び聞こえる“ごきげんよう”の挨拶。振り向いて、笑顔で返事を返す。音楽室の開いた窓から漏れてくる、合唱部の朝練の歌声。ゆっくりとした歩調で渡り廊下を行くシスターの横顔。優しい陽光。この平穏な学園生活が、もうすぐ終わることは間違いなかった。あの人と共に、6月下旬から無限学園に編入学することを決めていたから。沈黙が迫っている。あの人がいるこの世界を脅かす、沈黙が迫っている。 あの人の手を極力血で穢させないためにも、私は鬼になる。修羅になる。 穢れるのは、裁かれるのは、私一人だけで良い。あの人は、ただ黙って私の戦いを見ているだけで良い。そんなこと…。あの生真面目で優しい人が、させてくれそうもないことだけれど。これから先、たとえ何があっても、私はあの人を守り通してみせる。 もう、後悔はしない。 あの人と一緒だから。 どこまでも、一緒だから。 私はそれを知っているから。 マリア様。あなたは私の心を、見抜いていて? Fin. |
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