| 2月末。季節は肌にもわかるように着実に移り変わっていく。はるかが通う中学校ではもう期末試験を残すだけとなり、教師達も試験範囲を何とか終わらせようと駆け足で授業を進め始めていた。そんな慌ただしい日常の中、はるかは別のことで心中落ち着かなかった。その症状は、自分の誕生日が終わったときから既に始まっていた。 1月27日にみちるから誕生日プレゼントをもらったとき、はるかはみちるの誕生日の日にちとプレゼントの希望を聞いた。みちるは少しの間考えた後、目線を落としてこう言った。 「そうね…。もし頂けるのなら、お金がかからないものがいいわ。一円も。」 「……。一円も?」 みちるは曖昧に笑い、頷いた。そして一瞬翳った表情を見せたものの、それ以上の説明を加えずに話を変えてしまった。そのときのみちるの心内はというと、こうだった。お金のかかる贈り物は、はるかと出会う以前からこれまでたくさん贈られてきている。“贈り物の値段の高さは、愛情の深さに比例する”と誤解している者が多いが、必ずしもそうとは言えない時もある。たしかにはるかから高価なプレゼントをもらってもそれなりに嬉しいが、出来れば他の人と違うことをしてほしい。 もう一つ。誕生日を毎年の義務のように気重に祝わなくても、平素からはるかが自分のことを大切に扱ってくれていることは十分わかっている。“誕生日だから”とあれこれ悩んで、わざわざ物を贈る必要はない。ただその日を覚えてくれていて、“おめでとう”と一言言ってもらえればそれで良かった。 だからわざと、かぐや姫みたいなことを言ってみたのである。期待通りのプレゼントをもらえることなど、全く考えずに。 そういう説明を一切されずに無理難題を出されたはるかは、一生懸命頭を悩ませていた。2月29日、みちるの誕生日の一週間前。当のみちるは風邪を引いてしまって、学校を欠席していた。本日のタリスマン探しは中止。はるかは無限学園裏に広がる河川敷に一人現れた。背の低い雑草が茂る土手に腰掛けて、夕暮れの中、子供達がサッカーボールを追う模様を眺める。頭の中は、“みちるの誕生日プレゼントに何をあげるか”ということで悶々としていた。 お金をかけないプレゼントって、何があるのだろうか。ナイトクルージングもレストランでの食事も宝飾品も花束も、皆お金がかかる。…海沿いをドライブ。でも3月初旬の夜風はまだ冷たい。しかも週間天気予報によれば、3月6日土曜日は夜から雨とのこと。…それに、あと一週間以内にみちるの風邪が治る保障もどこにもない。つまり今考えたことは、全部ダメということだ。 河川敷に咲く、淡い紫色の花が目に入る。…これを摘んで持っていけば、お金はかからないよな…。アホなことを考えている自分に気づき、ごろんっと地面に背中を倒す。 3月6日。その日はるかはいつもより早く起床し、早朝から山間部へモトクロス練習に出掛けた。バイクを車に積んで山の裾野まで行き、そこからバイクで林道を突き抜けて、山の開けたポイントに出る。そこには近隣のライダー達の協力もあって、ちょっとした練習コースが設けられていた。一人でそのコースを何度も周回し、落ち着かない心を紛らわす。…みちるとは、夜10時半から会うことになっていた。待ち合わせ時間を決めたのは、みちるのほう。風邪はほぼ治っているそうだが、折しも今日は海王グループの創業パーティーの日と重なっているらしかった。すなわち朝からずっと“お祝い責め”で、夜遅くにならないと身動きがとれないらしかった。…ただ今年は国内にいるだけ、まだマシだろう。本人によれば、去年は誕生日に両親から一ヶ月間のフランス滞在をプレゼントされ、新学期直前までずっと国外にいたという話だから。 夕方自宅に戻って来て、日が落ちるのを待つ。夜9時になって車を出して、海王洲のベイブリッジに向う。車中でプレゼントのことが頭をよぎり、少しの間悶々とする。色々考えて、最終的に自分にしか贈れないプレゼントを用意したつもりだ。お金も全くかかっていない。けれど、こんな簡単なプレゼントで大丈夫だろうか。考え考えしながら運転を続けていると、フロントガラスに雨粒が落ちてきた。ワイパーを稼動させ、視界をクリアーに保つ。思い立って、カーラジオのスイッチを入れる。 海王洲のベイブリッジ付近では、その日は海王グループあげての盛大な船上パーティーが催されていた。船はもちろん、海王造船製の豪華客船“ネプチューン”。もともと海王洲という地名も、明治以降にこの近郊で海運業を興して財を成した海王海運に因んで付けられたものである。明治17年に横須賀に鎮守府がおかれて、その地に海軍の本格的な拠点ができることが決まった後は、軍事・民間ともに物資輸送の需要が拡大した。そこで政府は、横須賀近郊に基盤を持ち企業規模を拡大しようとしていた海王海運を保護し、人や物資の輸送・調達を委託した。国の手厚い保護を受けた海王海運は、造船や製鉄、貿易業にも進出し、日本の近代化に大きく貢献してきた。その功績を称えるために、この“三角州”が建設されるときに地名の候補にあがったのだった。 今日の主役の一人は、そんな由緒正しき巨大グループ総帥の一人娘・海王みちる。みちるの両親も、この日に合わせて仕事先から臨時帰国していた。彼らが今年国内で娘の誕生日を祝うことにしたのは、本人の強い希望を受けたためだった。本当は、仕事先に作った保養地に娘を呼んで、久しぶりに家族三人で過ごしたかったし、会社の創業パーティーも別の日に計画していた。…もちろん娘の誕生日プレゼントにも、何か物品で特別なものを用意するつもりだった。けれども当の愛娘みちるはこう言った。 「今年はお父様とお母様が、国内で私の誕生日をお祝いしてくれると嬉しいわ。ちょうど会社の創業日の3月1日と近いことだし…。もしお父様のお仕事のご都合が付けられるようなら、それに合わせてお帰りになって。」 父である湧二は、その発言を受けて当初は少し戸惑っていた。娘なりに気を遣っての発言なのだろうが、指定されたのは祝う場所だけ。“何をプレゼントしてほしい”という具体的な要望が盛り込まれていなかった。昨年はヨーロッパ旅行を、一昨年は銘器“マリン・カテドラル”を、その前は海王洲のコンドミニアムの一室を、みちるの希望に沿ってプレゼントしたのに。今年は何の具体的プランも示されていない。それでも湧二は娘を喜ばせようと、仕事の合間にプレゼントについて考え続けた。日本で五本の指に入る大富豪の家に育った彼にとって、プレゼントといえばそれなりに値の張るもの、出来れば物品で豪華なものと相場が決まっていた。とくに今回は愛する一人娘の誕生日プレゼントなのだから、少々多めに金を積んでも惜しくはない。そして思いついたのが、船のプレゼントだった。船自体なら、これまでも5歳の誕生日にクルーザーをプレゼントしたことがあったが、今回はもっと大掛かりなもの。今日このパーティ会場に使っている豪華客船を、そのまま娘にプレゼントしようと考えていた。もちろん「今すぐに」というわけではない。小型船舶免許も持たない今のみちるを、すぐに船のオーナーにするのは不可能だし、役員会議や株主総会でも反対にあうだろう。だから名義上はこれまで通り自分が所有していることにして、実質的なオーナーをみちるに変更してしまおうと思っていた。誕生日を祝ってもらった想い出も場所も、そのまま娘の持ち物にしてあげようと。娘はきっと喜んでくれる。喜ぶ顔を思い浮かべながら、湧ニは向かいのテーブルで来客と談笑する愛娘の様子を見た。 みちるは来賓達に、終日にこやかな表情で卒なく応対を続けている。来賓達の幾人かは、今日が娘の誕生日だということを知っているらしく、プレゼントを持参していた。みちるは贈られるプレゼントの数々を嬉しそうに受け取って、執事の牧野に渡していた。 夜9時。ようやくパーティはお開きになり、みちるの両親は夜間フライトで再び仕事先の海外に戻っていった。招待客たちも、一人また一人と帰路に着き、みちるはそれを船内から見送る。夜10時前。みちるが一日の義務を終えようとしていた頃、執事の牧野が迎えの車を手配していることを伝えに来た。みちるはそれを断った。迎えは別の人に頼んでいることを告げると、牧野は少し悩んだ後「承知しました。」とだけ答えた。 はるかが海王洲の船着場に到着したのは、船上でそんなやりとりが行われた数分後だった。みちるはパーティードレスを脱ぐ暇もなくはるかの車に乗り込み、海王洲を後にした。…こうでもしなければ、今日は時間を作ることが難しかった。車中で、はるかはみちるの誕生日を口頭で祝い、自分も誕生日プレゼントを用意したことを伝えた。はるかによれば、それははるかの自宅に置いてあるらしい。みちるは既に疲れていたが、その言葉を聞いて、嬉しさと申し訳なさが半分ずつくらい心に湧いてきた。 日が変わる30分前。はるかが運転する車は天王洲の自宅に到着した。みちるははるかの部屋に通されたものの、室内にはプレゼントらしき包みが見当たらなかった。はるかはそれを察したのか、ジャケットの内ポケットを探り始めた。程なく取り出されたのは、はるかがいつも使っている革製の茶色い鍵入れだった。はるかはそれを、みちるの前に“はい”とだけ言って差し出した。みちるはそれを受け取って、首をかしげた。 「鍵をくれるの?これは…合鍵?」 「違う、いつも使ってる鍵。それに合鍵を作ったら、プレゼントにお金をかけることになるよ。」 「…? でもこれを頂いても…。」 はるかはみちるの瞳から視線を少し逸らして、言葉を返した。 「あげるんじゃなくて…。貸すよ、明日まで。」 みちるは少しの間考え込んだ後、とりあえず笑顔になった。 「…ありがとう。鍵のレンタルが、誕生日プレゼントということね。」 しかしはるかは、その返答にやや満足していないようだった。 「ちょっと違う。“鍵のレンタル”がプレゼントじゃなくて…。プレゼントは“時間”。」 「時間?」 理解不能な説明に、みちるはおうむ返しした。はるかは頷いた。 「今日これから、明日終わるまでの僕の時間。前に、“しんにょうの『逢う』で書ける時間がもっとほしい”って言ってただろ?…だから。鍵を預けるから、使いたいときに使いたい鍵を僕に渡して、僕を動かせよ。…。明日は、一日全部空けてるから。」 言い終わって、はるかがみちるの瞳をちらと覗いた。みちるは、はるかがどれほど忙しい人間なのかを、十分心得ていた。もし今日が自分の誕生日でなければ、きっと早早に予定を入れて明日まで遠出していただろうことも、容易に想像できた。一方、はるかはしばし沈黙するみちるの様子に戸惑っていた。怒っているのかな、やっぱり何か買ってプレゼントしたほうが良かったのかなと、不安になる。だんだん大きくなっていく不安を押し隠せなくなって、言葉を継ぎ足す。 「お金は全然かかってない、と思うけど…。」 みちるは、どうしようもない照れ笑いで顔が崩れるのを、唇をちょっと噛んでごまかそうとした。でもダメで、年相応の垢抜けない表情に戻って、頬を赤く染め始めた。まさか最後の最後に、自分の希望に叶う贈り物をされるとは、思ってもみなかったから。照れてどうしようもない顔をはるかにそのまま向けて、しばしの沈黙を破る。 「…ありがとう。」 その言葉と、みちるのその表情を受けて、はるかもようやく笑った。みちるが本当に喜んでいることを、実感することが出来たから。…ただ正直に言えば、明日のレースを欠場することでポイントが稼げないことは、レーサーとしてはやや痛手ではあった。それでも“ま…、いいか。”と思える自分がいた。自分も変わったよな、と内心苦笑する。 外は雨がまだ一向に降り止む気配がなかったが、その雨音は二人の耳には小気味好く届き続けていた。 Fin. |
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