Midnight Call
初稿掲載日:2001年10月6日 / 最終修正日:2004年7月4日 / 作者:daydreamer
| ♪ 深夜3時を回った頃、唐突に電話のベル音が鳴った。起きてはいたが、強い酒が体中に回っている。ぼうっと点灯する水色のディスプレイ。視界が一瞬ぼやけ、鈍い頭痛で顔をしかめる。 電話の主は録音開始まで、根気強く待っている様子。程なく留守用応答メッセージが再生され始める。僕はまるで他人事のように電話を眺めていた。短い発信音の後に、独話が始まるのか。…こんな時間に電話をかけて来るのは誰だ? 間違え電話なら、承知しないぜ…。シーズンオフに入る前夜。一人飲み明かし、思考はひどく乱暴だった。 「…お久しぶりね、はるか。」 …。 ?!! ラジオのチューナーが、いきなりお好みの放送局に合ったような感覚。床にへたりこんでいた体が、一瞬緊張する。 「久しぶりに電話してみたけれど…元気にしてるかしら?」 みちるだ。 「実はね、来週末に帰国することになったの。もし良かったら、久しぶりに会わない? 詳しいことは…そうね、こちらに電話をくださって。 電話番号は、00XX-010-43-1-XXXX-XXXX。…じゃ…電話待っているわ。」 それだけ言うと、電話は切れた。“着信”ボタンがピカピカと光り始める。口を半開きにしたまま、しばらく茫然とする。五年半ぶりに聞く彼女の肉声。留学先から?それとも公演先から? 電話番号のはじめのほうに、オーストリアの国番号「43」が入ってる。市外局番「1」は…ウィーン? まだウィーン?それとも再滞在か。麻痺気味だった思考が急に進み、ギシギシときしむ音がする。 『またいつか帰ってくるのだし…。何かあったら、私から連絡するわ。電話嫌いなのはわかってるけど…。気が向いたらお取りになってね。留守番電話の応答メッセージが全部終わるまで待つから。』 淋しそうな笑顔をして、そんな冗談を言いながら。六年前、彼女は第一留学先であるウィーンへと旅立った。渡欧、そして渡米の目的は、国際コンクール参加と現地音楽院・総合大学への多面留学。これから真のバイオリニストとしての人生を歩んでいくには、欠くことの出来ない道程だった。これから先はもう…日本音楽コンクール最年少優勝という肩書きだけでは、通用しない。“天才少女”というレッテルも二十歳を過ぎれば自然と剥がれていく。いつの間にか消え去り、忘れ去られてしまった神童たちの物語。三歳のときからヴァオリンに親しみ、世間からの脚光を常に向けられてきた彼女は、それを誰よりも良く知っていた。何より、彼女は自分が思い描く音を具現化しようと常にもがいていた。そしてその目的の達成には、まだ気の遠くなるほどの道程があるらしかった。 彼女がいつか言った言葉。 『その国の音楽を、その国の文化の下で学んでみたいわ。歴史は浅くても、今一番アクティブなところでも学んでもみたい。…ふふ、コンサートと戦いで手一杯なはずのにね。』 伝統を重んじつつも、決して化石と化さない音楽の都ヨーロッパの憧れ。そして、世界の音楽教育機関の中でも最高峰の一つとされる、アメリカの音楽院への熱望。色々な環境に段階的に身を置いていって、演奏家として徐々にステップアップしていきたい。…そういう生き方は、プロを目指す奏者なら一度はきっと望むことなのだろう。その気持ちは、そのときの僕にも理解できるものだった。 僕のほうもレーサーとしての経験を積むために、国内外で諸レースにフル参加を決めていた。色々な競技をやってきたが、最終的にMotoGPクラスを目指し、某企業チームに雇用された。シーズンオフ中はマレーシアで自主トレ。チームが九州にもつマシン製作所にも顔を出して、学ばせてもらうことに。…一度は『夢だった』と言い切ったことだった。けれども再びチャンスが来れば、それは絶対に掴むべきもの。ぼんやりとだが、いつも心のどこかで。みちるも僕も、そう考えていた。 みちるが日本を長期間離れることが決めたとき、僕は連絡先を聞かなかった。その後まもなくして連絡先を細かく記したメモ紙を渡されはしたものの、みちるが留学のために成田を発った日に捨ててしまった。見送った直後、空港のゴミ箱に。そのまま手元に残していると、いつか連絡してしまうと思ったから。これからはもう、お互いに一人で歩んでいかなければならない。“捨てる”という動作は、常に、いつまでも感傷に浸ろうとする自分にそれを一番よく知らしめてくれる所作だった。 …一つの疾風を知った後、僕はもっと速い風を求めた。一方の彼女は、より研ぎ澄まされた音色を求めた。“よじれの関係”とでも言うのだろうか…。それぞれの欲しているものを求めれば求めるほど、物理的距離が容赦なく開いていった。 そして今。日々の充実ぶりは、幾らか彼女の幻影を紛らしてくれている。モトクロス、エンドューロ、ロードレース、スーパーモタード。ON・OFFをまたいでバイクスポーツ界を縦横無尽に切っていくことは、たまらなく楽しかった。風があれば、そこはもう拠りどころの一つ。風だけが、僕といつも一緒にいてくれた。そう、風だけが…今は。 ただ何かの拍子に思考が自由を得ると、すぐに彼女のことが頭を占めてくる。カーラジオから流れたクラシックだったり、TVで少しだけ映った水族館の映像だったり。きっかけは、いつもちょっとしたことからだった。普段は、彼女に関わる情報は極力shutしようと努めている。不毛な努力。わかっているつもりだ。だが認めたくない。感傷に浸ってしまう自分を、認めたくはない。天王はるかは、そんな脆い人間であってはならない。 今日、離れて初めて彼女が電話をくれた。久しぶりのわりには落ち着いた声だった。受話器から聞こえる、かつて誰よりも愛した人の、懐かしい声。聴いてすぐに、酔いがさっと醒めていくのを感じた。 はたと思い返す。電話をくれと言っていた。硬質な感のある黒いボディのプッシュホン。今日は及び腰にならずに向かい直う。普通は…ほとんど留守応答専用なのだが。数字の羅列を打ち込みながら、色々なことを考える。さっき一気に跳ねあがった心拍数は、電話の回線切り替え音を何度か聞いているうちに、少しずつ下がってきていた。プップップッ、ブツ…と数度繰り返しているうちに、またあれこれと考え始める。 「Hallo! Hier spricht Kaiou.」 しばしの思考の最中、懐かしい声が飛び込んできた。はるかは思わず息を呑んで、顔を少し強張らせた。 「…。……Hallo! Guten Abend!」 唐突に飛び込んできた母国語に、頭の言語中枢が反射的に作動した。しかしこれでは少し間抜けだ。TV電話でなくて良かった、と一人ほっとする。 やや間があって、くすっと笑い声が聞こえた。 「こんばんは、お久しぶりね。はるかでしょ? 元気にしてらして?」 「ああ、元気にしてるよ。君は?」 「ええ。相変わらずよ。昼はバイオリン、夜は絵を描いてるか、楽譜に眼通し。」 はあ、僕に負けず劣らず不健康な日常を送っているね。おどけてみせる。しかしすぐ反論され、貴方みたいにプライベートで無理しているわけじゃないのよ、と笑われてしまう。…確かに。今は朝の3時半。僕はまだ飲んだ暮れて起きている。…あちらは、恐らく時差7-8時間で今は夜の7-8時。鋭く的確な反論だ。苦笑して、さっさと降参する。 「来週の土曜の便で…日本に戻ることになったの。久しぶりに、会えるかしら?」 「…。帰ってくるんだ。そうか。じゃ、会おうか。久しぶりに。」 「はるかは来週末は大丈夫なのね? そう、じゃぜひお会いしましょう。 でも私のほう…、滞在が金曜までなの。来春に予定している日本公演の打ち合わせと…お役所関連の手続きを済ませるために少し戻って来るだけ。だから」 「疲れる前に、会っておきたいって?」 ええ、と認めながら、みちるは苦笑いした。 「出来れば日曜のお昼頃に会いたいのだけれども…、大丈夫かしら?」 そう言われて、はるかは頭の中で“え?”と思った。ヨーロッパからのフライトだったら、直行便でも半日はかかるはず。土曜の夜間便で飛んでも、日本に着くのは翌日早朝。日曜の昼といったら、まだ飛行機疲れがとれていない時分だ。 「大丈夫だけど、みちるは戻ってきてすぐじゃないか。 もっと後の曜日は? 僕のほうなら、君の帰国に合わせるように出来るだけ日程調整するけど?」 「…ありがとう。でも日曜がいいわ。」 何故そんなに急いで会おうとするのか。そのときの自分には、要らぬ詮索に思えた。わかった、それなら日曜昼に。手短に待ち合わせ予定を立て合った後、受話器を元に戻す。 いつもは冷たく耳にあたっていたプラスチックのこの受話器。 今日は変に熱く感じられた。 Fin. |
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