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Search for HAPPINESS
初稿掲載日:2001年8月1日 / 最終修正日:2008年6月5日 / 作者:daydreamer


 くだらない疑問が、時折はるかの脳裏をかすめる。
 自分が女であるということ、女の自分が女のみちるを愛すとういこと。
 また、愛されるということ。
 
 世間一般の考えかたで、二人の関係を見るのは間違いかもしれない。しかし二人は戦士であると同時に、日常世界に生きる平凡な人間だ。一般的な恋愛の考え方を無視することは難しい。女である自分は、みちるにとって如何なる存在なのか。男性同様に、雄雄しく頼れる存在と思われているのか。生涯の伴侶として受け入れられているのだろうか。それとも、使命を負っている間のみ禁忌を犯すことを共にする軽い存在、ワークパートナーのように見なされているのか。あるいは青春の一時期のみ、『冒険』感覚で恋愛対象とされている女友達なのか? 
 考えまいとすればするほど、疑問は頭の大部分を占めていく。不安なのだ。

 はるかにとっては、みちるは永遠のパートナーであり、この手で幸せにしたい存在だ。みちるの代わりになる人間など、男にも女にもいない。だが自分との恋愛では、結婚や子供を持つうえで多くの難題と向き合わなければならない。当たり前の幸せを、到底みちるに与えられないし、はるか自身手にすることが出来ない。…それでも自分はみちるを離したくないのだが。
 たまらず、傍らで眠るみちるに目を移す。端正な顔立ちを保ったまま、気持ちよさそうに眠っている。今、彼女は幸せなのかな、それとも…。
 ブランデーを。つまらぬ思考を止めなければ。

 強い酒を煽りながら窓越しに、早朝のまだ薄青い日差しが差し込む公園に目をやる。野良の三毛猫がのんびりと園内を横切っていく。人通りはまだない。空には光を失った白い月。有明。街が活動し始める前の、静かなとき。心地よい、涼やかな風が微かに吹く。いい時間だな…。 [挿絵]
 先ほどの思考は止まり、はるかはまどろみ始めた。



「はるか…。そんなところで寝たら風邪引くわ…。」
 不意に名前を呼ばれ、顔を上げる。みちるが目を覚ましたようだ。はるかは、グラスを出窓の奥のほうに下げ隠して、微笑みかけた。部屋には二人しかいないのに、みちるは律儀に白シーツで胸を隠す。
「シャツぐらい着ておかないと。」
 言われて、ふと素肌にあたる空気のあたたかみを意識する。ベッドから出た後、床に放っていたスーツパンツをはいただけだった自分を思い出す。少し苦笑いしながら、彼女に言葉をかける。
「…少しは寝れた?」
 ええ、と言うかわりにみちるは微笑んでうなずいた。昨日、彼女は海外の有名交響楽団との共演が正式に決まった。弦楽器パートに定評がある楽団で、共演は子供の頃からの夢だったらしい。帰宅後も興奮してなかなか寝つけなかった彼女は、はるかの腕の中で眠ることにして、海王洲の自宅を出た。
 みちるはベッドを出て、床に落ちていたはるかのカッターシャツを拾い上げた。“借りるね”と言ってそれをふわりと羽織り、襟元に入った髪を両手でたくし上げる。それからゆっくりとした歩調で、窓辺に腰掛けたはるかの元へ歩み寄ってきた。
「珍しく早いわね。低血圧なのに。」
 はるかは苦笑した。いつもは、一緒に寝てもみちるのほうが大体早くベッドから抜け出す。“早く”といっても、それは決まった時間に起きているに過ぎない。普段から演奏活動や絵の創作で忙しい彼女は、生活が不規則になりがちだ。だからあえて休日も規則正しい生活を送って、自分を律する。そうやって心身のバランスをとっているらしかった。その彼女より、今日ははるかのほうが珍しく早く起きた。何か気になることがあると、夢見が悪くなって眠りが浅くなる。
「早起きぐらいするさ。」
 みちるははるかに到達し、向かいに腰掛けた。はるかが見ていたのと同じように、窓の外を眺め始める。はるかは、薄青に染められたみちるの横顔を見て、綺麗だと思った。ずっと見ているのが照れくさくなって、同じように窓外に視線を移す。少し前に見た三毛猫が、まだ公園内をのそのそとうろついていた。
 しばらくすると、みちるは窓外から視線を逸らした。はるかを見て、腰あたりに隠れているブランデーグラスの存在に気づく。はるかは眠そうな顔をして、まだ外を眺めている。みちるはグラスに視線を保ったまま、はるかに語りかけた。
「お酒? …朝から?」
 ぼうっとしていたはるかは、急な質問を受けて、みちるの顔を見た。一瞬何のことだかわからなかったが、みちるの視線の先を辿って、ようやく質問の意味を理解した。急いでポーカーフェイスになり、切り返す。
「昨日飲んでた寝酒の残りだよ。変な時間に起きちゃったから、また寝直そうと思って。」
「…。」
 怪訝そうな面持ちをみちるは崩さない。
「今日は、お昼からテスト走行があるって言ってたわよね?今飲んで、大丈夫なの?」

 ぎくっ。

 わずかに顔に出た動揺を、みちるは見逃さなかった。みちるの瞳の光が少し強くなる。
「あんまり飲んでないから、昼までにはちゃんと醒めるって。…別にきつい酒じゃない。」
「でもブランデーでしょ、それ。」
 みちるはグラスとはるかの顔を交互に見ながら、はるかの心理分析を始めた。
「そうだけど、いつも飲んでるやつだから。別に…。」
 …まずいな。はるかは眠気が飛び、固まった表情のまま適当な言い訳を考え始めた。先ほどの思考も頭をもたげ出す。みちるは、はるかからグラスを取り上げて、サイドテーブルに移した。はるかのほうに向き直って、やはり怪訝そうな面持ちを見せた。
「どうかしたの?」
「…どうもしてない。」
 みちるは少し苦笑いして、はるかへ向ける眼光をもっと強めた。相変わらず隠すのが下手ね、と思う。はるかの後方に回って、背中を抱く。一方、抱き締められたはるかは、せっかく作ったポーカーフェイスを崩しそうになっていた。とりあえず口にチャックをして、みちるの追及が収まるのを待つ。みちるの肌の暖かさが、はるかに直に伝わっていく。喩えようのない安心感に、はるかの緊張が危うく和らぎそうになる。機を逃さず、みちるが口を開いた。
「はるか。どうかしたの?」
 耳元で聞こえる声に思わず甘えてしまいそうになりながらも、はるかは何とか無言を通した。早く諦めてくれと心の中で祈りながら、窓の桟を見つめる。はるかを抱くみちるの腕の力が強まった。言うまで腕を解かないから、という軽い脅迫。その思いを受けて、はるかは少し顔を上げてしまった。
「はるか?」
「どうもしてないって。」
 はるかは苦しい弁明を続けたが、みちるは一向に諦める気配がなかった。
「嘘。何か隠してるわね。」
 隠してないと反論するはるかの主張を、みちるは信じなかった。はるかはいつも、何か大事なことを言おうとするとき、こんな風にじれったくなる。言いかけて止めたり、言わないまでも酒やバイクの形で痕跡を残す。心をさらけ出したり、気持ちをぶつけたりすることが極端に苦手なため、そういう態度になってしまう。それを見つけて根気強く問いかけてあげると、ようやくぽつりぽつりと語り始める。そうやって話させてあげることは、パートナーであるみちるにとって大事な役目だった。話させてあげなければ、はるかの心にしこりが残って、日常生活にも少しずつ支障が出始める。他の人は気づかない。いつもそういう兆候を見過ごして、調子の悪くなったはるかに手を焼くだけだった。
 みちるは、はるかを抱く腕の力をさらに強めた。肩の関節が、軽くきしんだ音を立てる。みちるは努めて優しく、しかし1歩も退かない態度で語りかける。
「言ってよ、はるか。気になって寝れないから。」

 はるかの頬を、みちるのあたたかい吐息がくすぐった。つまらぬ思考。逃げても、後で必ず向き合わねばならない問題。やはり答えが欲しい。はるかはようやく降参して、重たい口を開けた。わかった、言うから、と肩越しに告げる。
「みちるにとってさ…。僕は男? …女? それともそれ以外?」
 腕の力が少し弱まった。しばしの沈黙。加熱された思考回路がオーバーヒートしていく。言ってしまったことに、後悔を感じ始める。



 不意に腕が解かれた。少し躊躇った後で振り返ろうとしたが、それより早くみちるがはるかの前方に回った。座り直して、はるかを見て、微笑む。
「はるかは…、はるかよ。 たまたま女だった、というだけのことで…。」
 言葉を選びながらも、みちるはそう言いきった。発言に迷いは感じられず、思っていることを出来るだけ正確に伝えようとする内容だった。リラックスした表情にも、偽りは感じられない。今の答えで十分だ。
「……。そうか。」
 はるかの顔が緩み、自然と笑顔に変わる。安堵の表情。そして、ようやく歯切れの良い言葉を発した。
「じゃ、みちるはみちるで良いかな。」
 それを聞いたみちるは、ちょっと首を傾げて苦笑いした。
「…? よくわからないけど。」
 笑い合った後、近づいて、再び肌を重ねる。軽くキスを交わして、改めて見たみちるの瞳の色はいつもの静かなマリンブルーに戻っていた。風に気持ちよく吹かれて立つ、さざなみのよう。この瞳を、僕は一番愛している。

 はるかは、サイドテーブルの置時計を見た。時計は、午前5時を指していた。テスト走行は午後2時から。それまで、現場への移動とミーティングの時間を除いてもあと5時間はある。このままぼうっとしているのは惜しかった。
 よっ、とみちるを腰から抱きかかえる。人形のように美しく均整のとれた体が薄青のグラデーションに少し染められた。急にはるかの二の腕に抱きかかえられ、みちるは「きゃっ…」と小さく声をあげた。すぐに落ち着いて、再び探るような眼ではるかの顔を覗き込む。そんなみちるに、はるかは微笑みかける。悪戯っぽい眼をして。
「8時までまだ…。3時間ある。」
 みちるの顔が、照れを隠した甘い笑顔に変わる。こつん、とはるかの鎖骨に頭をぶつけてくる。
「ダメよ。まだ起きる時間じゃないんだから、もう少し寝ておかないと。」
「今日は何も予定入ってないんだろ?」
「私はそうだけど、あなたは違うでしょ。“お昼からテスト走行がある”って言ってたじゃない。こんな早い時間から起きてたら、本番できっと寝不足になるから…。寝てよ。…昨日も、遅くまで起きてたでしょ。」
 みちるは少し済まなそうな顔をして、間近にあるはるかの顔を見た。はるかは苦笑いしそうになるのを、唇をちょっと噛んでごまかした。何だか照れ臭くなって、みちるから顔を背ける。
「…そうだけど、今すぐは無理だよ。疲れないと。それにアルコールも体から抜かないといけないし。」
 聞かん坊ぶりに、みちるは苦笑する。仕方ない。少なくとも睡眠時間については、今日は自分にも責任があるだろう。そう思いながら、首だけ回して、置時計を確認する。時計の針は、はるかが言ったとおり5時を指していた。
「5時半には…。ちゃんと寝てよ。…“寝ない”って言っても、寝せるけど。」
 はるかは頷き、軽く笑った。
「それまでにお酒が抜けてたら寝るさ。抜けてなかったら…、まだ寝れない。」
 みちるはもう一度苦笑した。ベッドの上に、ふわりとみちるの体が置かれる。朝焼けが、空の壮大なキャンパスを少しずつ赤く色づけ始めていた。かなり細った白い三日月がこちらを覗く。僕らを束縛するものは何もない。

 甘い口付けを交わしながら、はるかは幸せを噛みしめていた。

Fin.

Picture: daydreamer
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※この作品は、フィクションです。作品中に登場する名称や出来事は、実在の人物や出来事と一切関係ありません。