[PR]今日のニュースは
「Infoseek モバイル」


A Brief Encounter
初稿掲載日:2004年6月6日 / 最終修正日:2005年1月8日 / 謹呈:彩歌様 / 前世編追加設定まとめ
<<<前編『Beyond Reason

 静寂の夜。空には、球体の上半分だけを見せた地球。地球と月は、まるで両手を取り合って見つめ合っているかのように、お互いにいつも同じ面を見せて輝いていた。蒼く澄んだ地球光は星間の闇を透過して、月の“海”を毎夜照らす。王国全体を覆うクリーン・ドームは今日も閉ざされたままだったが、それでもドーム越しに見える星空は素晴らしかった。
 このドームがシルバーミレニアム上空を覆って、もう数百年が経つ。近年、隣国である地球国の発展は目覚しく、夜でも明りを絶やすことなく産業活動に励んでいる。“地球をより良い方向に進化させる”ことが使命である月の民にとって、それは喜ぶべきことでもあったし、同時に憂えるべきことでもあった。精密な体を持つ月の民にとって、地球から流れてくる汚れた外気は有害そのもの。地球はまだ、それらの汚染物質を浄化して放出するシステムを持っていない。それ以前に、外気を綺麗にしようという気持ちすらまだ持っていない。ただ自国の発展のみを考え、月にたくさん尻拭いをさせる、子供のような星だった。一方、月の王国は子の成長を見守る母親として振舞っていた。地球がどんな失敗をしても、ただ黙って見守り、太陽系の他の星に影響が及ばないように調整役を買って出る、影のような存在だった。

 そのドーム内を、高速で動く影が一つ。闇に紛れ、音を消しながら、王国中枢部であるムーンキャッスルへひた走っていく。緩やかにウェーブがかかった髪を、夜風が音もなく撫で、白と碧の残影が闇夜に束の間点る。ネプチューンは、ただひたすら“祈りの間”を目指していた。“祈りの間”の主、クィーン・セレニティに、どうしても会わねばならなかったから。警備が薄くなる深夜を待って、ラボの隔離施設から無断でテレポートしてきた。
 …セーラーネプチューンに覚醒して約10日。覚醒のとき、ネプチューンはクィーンが提示した条件を承諾し、一族を犠牲にした。そしてウラヌスをとった。しかし目覚めた場所にウラヌスの姿はなく、待っていたのは検査と実務訓練に追われる日々。ウラヌスのエナジーは研究所内にもその周辺にもどこにも感じられず、この王国内にいるのかさえ疑問視された。もしかするともうクィーンの手によって、着任先のミランダ・キャッスルに強制転送されてしまっているのかも知れない。そういう危惧さえ生まれていた。

 “騙された”といえばそれまでのことだったが、失ったものはあまりにも大きかった。ネプチューンの名を持つ一族と、ウラヌス。未来はおろか、現在の記憶も。…太陽系最外縁部の守りの切り札である自分は、トリトン・キャッスル着任と同時にクィーンの手によって人々の記憶からも抹消されてしまう。“切り札は、誰にも悟られぬようにギリギリまで隠しておかなければならない”。理屈はわかるが、それが自分に適用されるのは悲劇以外の何でもなかった。適用後は、この国にネプチューンという人間がいたことも、ウラヌスと共に存在していたことも忘れ去られてしまう。…いや、葬り去られてしまうといったほうが正しいのかも知れない。
 月は穢れなき清浄な国。しかしネプチューンという人間は、ウラヌスと共に禁忌を犯し、穢れた存在となった。覚醒したことで表向きは昇格扱いになったが、実質的には“左遷”。月から遠く離れたトリトン・キャッスルに独り飛ばされ、そこで一生任務に着く。クィーンにとっては、王国内からの危険因子の排除と太陽系最外部警護兵の派遣が同時に行える好機だったのだ。そのカラクリを今まで見抜けなかった自分が、悔しくて情けなくて、どうしようもなかった。

 ムーンキャッスルの中心部へ向かって、宮殿内をひた走る。一見すると石造りの古風な建物だが、中は完全にコンピュータ制御されたハイテク宮殿。ゲート毎のIDチェックはセーラー戦士としての網膜登録を使ってパスし、赤外線と監視カメラの目はテレポーテーションを駆使して可能な限り欺いていく。問題は、人。機械の目はごまかせても、警護に着いている人間の目は簡単にはごまかせない。もし遭遇したら外部太陽系戦士としての“力”を使わなければいけないし、そうなるとすぐに事態が露呈してしまう。クィーンに会う前に警護兵に取り囲まれて、また研究所に連れ戻されてしまう。
 しかし思いの外、警備は手薄だった。奥に進んでも、四守護神もルナも現れない。妙だ、とネプチューンは思った。ここはシルバーミレニアムの中枢であり、深夜といえども警護兵を絶やせないはず。以前日中にここを訪れた際は、宮殿最外部のゲートから既に警護兵がいたことを思い出す。…いくらセーラー戦士とはいえ、今の自分は招かれざる客。なぜ誰も現れないのか。もちろん遭遇することは極力避けたいが…。あまりにも、居なさ過ぎる。ネプチューンは張り詰めた緊張を解かぬまま、小刻みにテレポーテーションを繰り返して前進し続けた。

 …もしかしたら今日も、プリンセスの一行は地球国へ転移を行ったのかも知れない。地球国王子エンディミオンと、その忠実な部下達に会うために。内部太陽系戦士といえども、地球国に降り立つのは体に堪える所作。ネプチューンのような外部太陽系戦士と違って、内部戦士は星を犠牲にせずに生まれたセーラー戦士。マーキュリーもヴィーナスも皆覚醒してセーラー戦士となっているが、その一族は皆健在である。それは裏を返せば、月の加護を受けなければ生きていけない不完全なセーラー戦士であるということ。月から離れた地球国に滞在すれば、かなりのエネルギーを消耗するし、地球の汚れた外気を浄化する体内機構を備えていない。また、四人揃わなければセーラーテレポートも使えない。だから個々人が地球国に行くときは、転移装置を使って無理矢理体を飛ばすのである。宮殿をこっそり抜け出して、地球国に降り立ったプリンセスを追って。
 今はきっと、疲れきって回復シェルターの中で熟睡していることだろう。“こんなときに外部から攻め込まれたら”と思うと、そら恐ろしくもあったが、今のネプチューンはそれどころではなかった。



 宮殿内の通路をまっすぐに進み続けると、前方に、古代紫の大きな扉が見えてきた。建物の構造上、これ以上先に道があるとは考えられない。恐らくこの先が“祈りの間”。そこは一度も訪れたことがない場所だったが、ネプチューンは確信した。
 鋼鉄の扉を、力を込めて押していく。鍵はかかっておらず、重々しい音を立てて部屋内側に開いていく。扉が開くにつれて、中から強烈な光が漏れてきた。ネプチューンは思わず目を細めた。扉が全開すると、そこにはあたり一面光輝く部屋が現れた。ホライゾン・ブルーの輝き。床も壁も、一面にクリスタルが敷き詰められて、光り輝いている。中央には、やはり同じクリスタルで出来た大きな塔があり、その前で人が一人跪いていた。銀灰色の聖衣の上を、床に付くほどの長い髪が這っていた。

―――クィーン…!

 ネプチューンは扉の向こうに足を進めた。背後で、扉が独りでに閉まっていった。 
「ここは、私以外の者の入室を禁じているはずです。」
 クィーンは塔の前に跪いたまま、ネプチューンに語りかけた。ネプチューンは部屋のまぶしさに少し気をとられたが、すぐに我に返った。ラボから脱走するという危険を冒してまでここに来た理由を思い出す。思い出して、怒りに心が乱れる。どうにか御して、気持ちを具現化する。
「…どうしても直接お聞きしたいことがあって、ここまでやって来ました。覚醒のとき、クィーンは私に“取引”を持ちかけられました。私はあなたに提示された条件を呑んで、外部太陽系戦士として覚醒しましたが、私がもらうべき取り分は未だ支払われていません。…なぜ、ウラヌスと会うことが出来ないのですか? クィーンは私に、覚醒後のウラヌスと再会を約束なさったではありませんか!」
 込み上げる怒りで、言葉の最後のほうは声が震えた。体は上気して、濡れている。ラボからここまで走り通してきたことによる発汗と、全身を包む怒気によって。一気に喋り切ってしまった後は、ネプチューンの息切れする音だけが、しばらくの間部屋に響いた。クリスタルの外壁が静かに瞬く。

 クィーンはネプチューンの怒気を受けて、すっと立ち上がった。銀灰色の聖衣が揺れる。こちらには背を向けたままだった。
「…たしかに私は、覚醒後のウラヌスとの再会を約束しました。でもそれは、転生した後の話です。」
 ネプチューンは目を少し見開き、眉をひそめた。10日前、クィーンが言った言葉をもう一度反芻する。“会えるのは、転生した後のこと”。そんな条件は…。言われた覚えがない。少しの間があって、クィーンがこちらに背を向けたまま発言を再開した。
「外部太陽系戦士としてのあなたの力は、セーラーウラヌスの力と反発し合い、同じ空間に存在することが出来なくなっているのです。プラスとプラスの陽子同士は反発するように、力の属性が同じである外部戦士同士は、お互いが会わないように自然調整されているのです。」
 ネプチューンはその場に佇んだまま、クィーンの背中を睨みつけた。
「…あなたがウラヌスに近づけば、ウラヌスはその分だけあなたから遠ざかる。もちろんお互いが無自覚のうちに、そういうことが起こっているのです。…もともとタリスマンを授かる者同士が出会うことは、世界の終末まで起こり得ぬこと。今世での再会は、どうやっても不可能なのです。」
 落ち着き払った口調には、わずかな動揺も伺えない。片手に持つムーンロッドは、クリスタルの光を受けて冷たく光っていた。

 ネプチューンは失望を通り越して、絶望していた。もともとクィーンは、自分とウラヌスを会わせるつもりはなかったのだ。覚醒後は力の反発が生じて結局会えないことを伏せて、自分を覚醒させた。そこまでして外部太陽系戦士を創って、王国を守ろうとした。激しい怒りが絶望へと変化していく中、一つの決心が生まれた。たとえその決心が王国への反逆となっても構わないと思った。しばしの沈黙の後、ネプチューンは口を開いた。
「……では私は、セーラーネプチューンとしての階級を返上致します。トリトン・キャッスルへの着任も、辞退させていただきます。…ウラヌス空将のミランダ・キャッスルへの着任も、説得して辞退させます。」
 そう言って、ネプチューンは額のティアラに手をかけた。中央にアクアマリンを擁したそれを頭から外し、床に落とす。カシャンッと金属音を立ててティアラが床を叩くと、今までこちらに背を向けていたクィーンがようやく振り向いた。その表情にはまだ動揺の色はなく、ただ静かにこちらを見守っていた。眉も動かさない。

 クィーンの白銀の瞳が、ネプチューンの瞳にまっすぐに向けられていた。ネプチューンはそれを見まいと、瞳を閉じ、意識の集中を始めた。程なく、額中央に海王星を表す星の紋章が浮かび上がる。体からは、翡翠色に透けたエナジーが放たれ始めた。クィーンはその光景を前にして、少し瞳を細めた。ネプチューンが言っていることは、冗談ではないと知って。

 考えてみると、ネプチューンがセーラー戦士化を解除する方法に気づいたのは自然なことだった。覚醒を長らく自分の意思で拒むことが出来た彼女なら、覚醒を自分の意思で解除することもまた可能。
 …ネプチューン以外の戦士は、“ラボで星炎エネルギーを照射されると、体内で攻撃性遺伝子が活性化され、セーラー戦士として覚醒する”という説明を鵜呑みにしていた。しかし実際のメカニズムは、もう少し複雑なもの。星炎エネルギーはあくまでも覚醒の補助剤であって、それだけでは覚醒しない。最終的には、本人の“強い意思”がなければ覚醒は完了しない。けれどもその強い意思は、ネプチューン以外の者は最初から皆持っていた。自分が国家最高機密レベルの実験体となること。そしてセーラー戦士となることで、一人一人が、国を救う救世主となりうること。任務の重大さと、星の宿命。それらを痛感し、請われるままに覚醒していった。
 …もともとヴィーナスら四守護神のセーラー戦士化は、その後の外部太陽系戦士誕生のための予備実験として行ったもの。覚醒後の勤務地はこの月の中だったし、職務内容も全然軽い。一方、本実験であるネプチューン達3人のセーラー戦士化には、多大な犠牲を強いる必要があった。王族と同等の遺伝子改良を施すことによって、セーラー戦士としてより完全体に近い力を得る。その力は、同じ外部戦士同士が出会えないほどの、強大なもの。しかも着任地は太陽系の最果て。そこでたった独りで、侵入者達と終生戦い続ける。当然、当人達から激しい抵抗を受けて然るべき計画内容だった。

 ネプチューンを包むエナジーは徐々に膨れ上がっていき、額からは海王星の紋章が少しずつ薄れ始めた。迷いはなかった。外部太陽系戦士としての強大な力から解放されれば、ウラヌスのもとに近づくことが出来るのだから。たとえここでクィーンに殺されたとしても、死と引き換えに“力”を解くことが出来る。力が解ければ、覚醒のために犠牲になった母達へのせめてもの償いとなる。母達が愛してくれた、ただのネプチューンとして死んでいけるのだから。額の紋章はどんどん薄れていった。
 そのとき初めて、クィーンが塔の前から動いた。ネプチューンとの距離10mを一瞬で縮めて、ロッドを構え直す。

 気づくと、ネプチューンの額には何か固く冷たいものがあたっていた。目を開けると、それはムーンロッドの杖先だった。ネプチューンが言っていることが冗談ではないと知ったクィーンは、微笑しつつも強い眼光でネプチューンを見ていた。
「さすがネプチューン。セーラー戦士化のメカニズムに、気づいていたのですね。」
 クィーンはロッドの先をネプチューンの額から離し、頭上にかざした。程なく、ロッドから淡い光が放たれ始めた。ネプチューンは輝く杖先の軌跡を目で追って、それからクィーンを見た。白銀の瞳は、ただただ硬質で透明で、やはり僅かな感情の機微も伺えない。その瞳の色は王族の証だったが、人のあたたかな血が流れているとは、どうしても思えない色だった。
 一時ばかりパワーを溜めたムーンロッドが、再びネプチューンに向けられた。
 クィーンはネプチューンに、静かに告げた。
「あなたを外部太陽系戦士として歩ませるのは、やはり無理だったようですね。」
 ネプチューンは目を閉じた。クィーンの発言から、これが自分にとって最後の瞬間となることを悟った。ロッドから放たれる淡い白銀光は、目を閉じても感じられた。絶体絶命のはずなのに、肩も腕も不思議と力まない。刃向かう気力も、もう残っていない。…最後に一つ、クィーンに問うてから死のうと思った。それは王国に生まれて以来ずっと疑問に思ってきたことだったが、臣下が口にしては決していけないことだった。しかし今のネプチューンには、それを口にすることに躊躇はなかった。答えを聞けたとしてもすぐに抹殺されるのだから、質問しないまま死ぬほうが損に思えたから。
 瞼越しに感じる光が、一層強くなった。ネプチューンはゆっくりと瞳を開いた。
 諦念に満ちた顔で、しかししっかりとクィーンを見て、疑問をぶつける。

「クィーンがお守りになりたいものは。
 …この王国ですか? それともプリンセスですか?」

 はたと、クィーンの行動が静止した。ロッドをネプチューンに向けたまま、僅かに眉を寄せている。ネプチューンは、与えられた僅かなオーバータイムを逃さなかった。
「もし王国の安寧を真に望むのなら、プリンセスが地球人と通じることを、お許しにならなかったはずです。次期王位継承者として妥当かどうかも、いま一度お考えになる機会があったはず。…ラボのデータにあったように、覚醒した外部太陽系戦士が持つ遺伝情報と、王族のそれはほぼ完全に一致しています。違うのは、特定の遺伝子が発現しているか否かだけ。それならば、禁忌を犯している私とウラヌスは別としても、プルート時将を新たなプリンセスとして擁立することが可能なはずです。彼女ならば、クィーン同様に時を読む力を持っていますし、戦闘能力も王族に引けをとらない強大なものです。」
 薄浅葱の瞳が、白銀の瞳を見つめる。白銀の瞳に、わずかでもさざなみが立たないかと期待して。ネプチューンは言葉を続けた。
「それに彼女は…。王国への忠誠心が四守護神に引けをとらないことは、クィーンもよく知っておられるはずです。」
 クィーンは動かなかった。白銀の瞳は、月の表面と同じように冷たく光っていた。ネプチューンは、なおも言葉を続ける。
「それ以前に、地球という小国家など早早に完全統合なさっていたはずです。王国の勢力範囲はいまや太陽系全域に及んでいるのに、なぜ地球にいつまでも自治をお許しになっておられるのですか?私達三人がいくら外の守りを固めても、内に不安要素を抱えたままでは…。王国の未来は安泰、とは言い切れません。」
 クリスタルの外壁は、ロッドの光を受けて星のように瞬いていた。クィーンはやはり無言だった。最初の発言で僅かに寄せられた眉も、もう元に戻ってしまっている。

 答えはなし、か。ネプチューンは微笑し、再び瞳を閉じた。最後に、言うべきことは全て言えた、と思った。意識の集中を再開し、額から星の紋章を消滅させるべく全力を注ぐ。それを見たクィーンははっとして、ロッドを高く振りかざした。次の瞬間、祈りの間全体を強烈な白銀光が包んだ。光は二人を一時ばかり包み込んで、それから砂粒のようにキラキラと飛散していった。ネプチューンは、頭が後ろに思いきり引かれていくような錯覚に陥り、意識が飛んだ。



 しばらく気を失っていたネプチューンは、頬骨を何か硬いもので圧迫されているのを感じて目を覚ました。…生きているのか。それとも冥界なのか。視界の先には、グレイの硬質な床が広がっていた。体を起こそうとすると、頭に鈍い痛みが走って、目が眩んだ。目を瞬かせながら辺りを見まわすと、コンピュータが所狭しと配備された司令室のような場所にいることに気づいた。…しかし1つ不自然なことは、部屋に仕切りがないこと。各機械はグレイの硬質な素材で統一されていて、中央には大きなモニターが幾つか配置されているものの…。全てが宙に浮かんでいる。よく見ると機械の実体はなく、ボディが透けて向こうの空間が見える。向こうの空間には、無数の星星や星雲が見えた。ここは…。仮想空間なのか。それともやはり冥界か。どちらにしても、現実的ではない光景が広がっていた。部屋のどこかからは、時折ピッ、ピッと何か電子音のようなものが断続的に聞こえてくる。
「気がついたようですね。」
 不意に声をかけられて、ネプチューンは体をかたくした。よく知った声。声のした方向を見ると、クイーンの姿があった。バーチャル・コンピュータの一つを、操作しているらしい。扱っているコンピュータはキーボードもハードディスクも全て透明で実体がなく、キーやディスク取り込み部分だけが輪郭を残していた。クイーンは仮想キーボードを盛んに叩いていた。時折事務的に中央の特大モニターを確認するその顔からは、何も読み取れない。ただその動作から、何かをプログラムしている途中であることは察せられた。恐らくここは仮想空間のはずなのに、座っている床からは、ひんやりとした感触が伝わってくる。少し、寒い。
「ここは…?」
「祈りの間に隣接する場所です。」
 クィーンの声は落ち着いていたが、説明の続きはなかった。代わりに、ピッピッと何かの機械が出す電子音がした。数秒後、中央モニターの一つに、3次元の座標空間のようなものが表示された。
「…なぜ、殺さなかったのですか?」
 クィーンはまだ仮想キーボードに向かったままで、無言だった。モニターの座標空間中では、二つのポイントが点滅し始めた。無言のまま、隣の計器に椅子ごと向き直って作業を再開する。
「私が気を失っている間に、トリトン・キャッスルに強制転送なさることも可能だったはずです。」
 クィーンはふっと笑った。笑ったまま、入力キーを押して、中央の仮想モニターをまた見上げる。少し待ってみたが、返答はやはりない。機械の操作が完了するまでは、相手にしない、ということなのだろうか。ネプチューンもクィーンの視線を追って、仮想モニターを見上げた。
 仮想モニターの隅に黒い小画面が幾つか現れて、記述されたプログラムを表示していた。ネプチューンに内容を解読する暇も与えない速さで、プログラムは画面上を高速で走っていく。しばらくすると黒い小画面は全て消え、最初からあった3次元座標空間だけが表示されていた。座標の中には、点滅する2つの点の他に、別の新しい複数の点が現れていた。そしてそれらの点を繋ぐ曲線も、2つほど表示されていた。2つの曲線は、ある点で一度だけ交差している。

 モニターをまだ見つめたまま、クィーンが口を開いた。
「良く似ている。あなたと私は。」
「…?」
 意味のわからない返答に、ネプチューンは眉をひそめた。クィーンの顔を見る。
 せめて起きてからトリトン・キャッスルに転送してあげよう、ということなのか。額に手を当てると、星の熱い輝きが感じられた。海王星の紋章は、まだ消えていない。あの光の中で、クィーンに止められてしまったのだと気づく。外したはずのティアラは、すぐ脇に置かれていた。立ちあがり、クィーンのほうを見ようとする。頭に鈍痛が走り、足がふらついた。クィーンはそんなネプチューンを、遠巻きに見ていた。
 二人が視線を交わして、しばしの沈黙が流れた後。クィーンが口火を切った。 
「約束です。ウラヌスと逢わせましょう。」
「!!?」
 耳を疑う発言だった。夢を見ているのか、或いはやはりここは冥界なのかと思った。それでも、クィーンに問わずにはいられなかった。
「…しかし先ほど、私とウラヌスの力は反発し合って、“会う”ことすら出来ないと。」
「たしかにそうです。月の王国内では、この“星の間”を除いては。」
 “星の間”…。
 それはネプチューンにとって、初めて聞く言葉だった。このような場所があることを、王国内でも何人が知っているのだろう。こんな高度な仮想空間は、月の民の知能を持ってしても作れないのではないか。…大体、本当にここはムーンキャッスルの中なのか。宮殿の構造面から見て、祈りの間の隣にこんな安定した仮想空間を作り出せるとは考えにくい。宮殿内の構造を熟知している自信はあった。なぜならばテレポーテーションを行う際は、行きたい場所の映像を地理情報も含めて正確に思い浮かべる必要があったから。あの星の、あの宮殿の、あの部屋の、あの場所に立ちたい。そう強く念じて、そこにいる自分をはっきりと思い浮かべる。そうして初めてテレポートしたい場所に飛べるのである。ここに来るまでも、今日はそうやって移動してきた。けれども…。この部屋は、知らない。

 クィーンは、ネプチューンの思考が瞬時に進むのを、静かに見守っていた。
「ここは、私が銀河間を移動するときに使っている星間トンネルの入り口。他銀河からの侵略を免れるために、我が国が秘密外交を行っていることは…。あなたにも、使者を通して少しずつ話してきたでしょう?王国を守るためには、力で対抗出来る戦士と、力によらぬ優れた外交手腕の両方が必要。私の役目は、その外交手腕を発揮すること。」
 “秘密外交”…。
 ネプチューンは、自分の詰所である海王星マリンステーションに、クィーンの使者が初めて訪れた日のことを思い出した。あのとき自分はまだ幼な子で、当時“海将”の地位にあった母の傍で説明を聞いた。説明の大半はまだ難しくて解せなかったが、大きくなったら、独りでとても遠い場所に行くことになるかも知れないことだけはわかった。
 海王星マリンステーションから、クィーンの使者が去った後。母は使者については何も語らず、業務に戻っていつも通り振舞い始めた。ただその夜、眠っていると片腕を撫でられる感触がして、目を覚ました。薄闇の中、少しだけ目を開けると、母の気配がした。顔は見えないが、自分の寝具の傍に無言で佇み、腕に触れ、時折そっと撫でている。ネプチューンが起きてしまったことには、気づいていない。ネプチューンは起き上がろうかどうか少し迷ったが、何だか決まり悪い気がして、そのまま目を閉じたのだった。

 刹那の追憶が過ぎたのを見計らったかのように、クィーンがまた言葉を続けた。
「他銀河との外交は、時として遠方の地で行わねばならぬことがあります。あまりにも遠すぎてテレポーテーションでも到達できない場所で会談を行うときは、このトンネルを通って会談場所まで向かいます。トンネルの中では強力な磁場が働いていて、離れたところにある空間同士を繋ぐ特殊な力が発生しています。そこは一種の中立地帯でもあり、トンネル通行中は通行者の戦闘能力を無力化します。」
 説明を受けて、ネプチューンは頭を働かせ始めた。そのトンネルは、“ワームホール”のようなものだろうと想像した。プルートの管轄である“時空の扉”とは別種の、空間転移専用のトンネル。すなわち違う時代を行き来するためではなく、同時代に存在する超遠方の空間を行き来するためのもの。

 ただ、まだ理論上のもののはずだった。先に“時空の扉”の実用化に成功したのには、それなりの理由がある。時間旅行の場合、移動できる範囲は“過去”という有限の時間内に限られていた。有限だから、宇宙の歴史を全て解明し尽くすことが出来れば、行きたい時代の絶対時間を計算することが出来る。すなわち自分が行きたい時代が、宇宙史のどの部分に位置しているのか正確に決めることが出来る。あとは体内構成物質の量子化⇔再構築を成功させて、光よりも速い転送エネルギーを開発し、それに乗って時間の流れを逆流していけば良いだけだった。
 一方、“ワームホール”の実用化が遅れている理由は、行きたい場所が相対空間としてしか計算できないことにあった。すなわち自分が行きたい場所が、広大な宇宙空間のどの部分に位置しているのか、正確に決める方法がまだ確立されていなかった。宇宙は誕生以来、ものすごいスピードで膨張し続けている。その膨張の仕方は非常に不規則で、まだ十分な理論も計算式も確立されていない。だから近隣の星間ではセーラーテレポート出来ても、ネプチューン達も知らない超遠方の銀河に行くことは難しかった。たとえ偶然に転移出来たとしても、元の場所にまた戻って来れる保証は全くなかった。
 第一、トンネルの入口には、ブラックホールを使うことになっている。しかしブラックホールはあまりにも吸引力が強すぎて、これまで打ち上げた探査機や電波さえ全て飲み込んでしまっていた。飲み込まれたものは二度と現れず、音信も途絶えたままだ。そんな荒馬を、クィーンはどうやって制御したのだろう。

 クィーンは、ネプチューンの疑問には答えてくれなかった。半透明な“壁”のような部分に立て掛けていたムーンロッドを手に取り、中央のメインコンピュータ方向に歩いていく。
「…このトンネルの中ならば、外部太陽系戦士としての強大な力も無力化されて、あなたとウラヌスは一時的に同一空間に存在することが可能になるでしょう。ただし、長くは持たないはずです。持って一日。それ以上留まれば、基本的な生命エネルギーまで奪われ始め、トンネルの中で死ぬことになるでしょう。」
 ネプチューンは、“死ぬ”という言葉にわずかに反応した。
「そうなる前に、指定した時刻に指定した座標空間に来ておくこと。そこに来てもらえれば、私が外部から、あなたをトリトン・キャッスルに直接転送します。転送した後、あなたがここに戻ってくることは二度とありません。…ウラヌスとも、今世では二度と会うことは出来なくなります。トンネルの外ではウラヌスと同時に存在することは出来ないのですから、あなたに渡す座標情報と、ウラヌスに渡す座標情報は当然異なります。」

 そこまで言うと、クィーンは少し長めに間をとった。ネプチューンは、中央のモニターをもう一度見た。点滅している2つのポイントのうちの、1つを凝視する。点滅ポイントの傍には“C-Triton (γ:…,β:… | 12kpc | 200km/s | …,…,…,… | …)”と数字の羅列が表示されていた。
「今言ったことが呑めるなら、あなたとウラヌスに一日与えます。ただし必ず、指定した時刻に、指定した座標空間に来ておくこと。…約束できますか?」
 ネプチューンは即答出来なかった。唐突な提案であるのはもちろんのこと、クィーンが言っていることが本当かどうかさえ疑わしかった。相手は、ラボで“取引”と称して自分をセーラー戦士に覚醒させてしまった人間なのだ。
 しかしもし、クィーンの話が本当なら、死と引き換えにウラヌスと一緒にいれる場所があるということ。そんな場所があるのなら、そのままずっとそこに留まればいいと思った。…クィーンは当然こちらの心内を見抜いているはず。やっとの思いで覚醒させた外部太陽系戦士を、みすみす二人も無駄にするはずはない。何か策があるのか。或いは…。先ほどの鈍痛が、また頭を圧迫した。前頭をじわっと抑えつけるような痛み。目を瞬かせて堪えながら、ネプチューンは或る根本的な疑問をぶつけた。

「…。私は既に禁忌を犯した身。なぜ、何も罰が下らないのですか?
 …それともトリトンキャッスルでの終身任務が、罰なのですか?」

 それを聞いて、クィーンは微笑した。メインコンピュータのデスク端に腰掛けて、ロッドを持つ手をゆっくりと膝上に載せる。杖下が床面をトンッと叩いて、静止した。
 質問にはすぐには答えなかった。何もかも知っているけれど、発言に慎重を期しているようにも、ただ勿体ぶっているようにも思えた。微笑したクィーンが目を伏せ、沈黙している間、ネプチューンはクィーンを見つめたままだった。
 …ふと、あることに気づく。銀を基調とするクィーンの衣裳、その髪、その杖、その瞳。それらは、グレイで統一されたこの部屋と一体化しているように見えた。…この部屋は、恐らくクィーンが創ったもので、クィーン以外の者はその存在すら知らないのではないか。他銀河との秘密外交も、クィーンが単独で行っていることなのかも知れない。でももしそうだとしたら、一国の主が丸腰で、しかも護衛なしで、他銀河に渡っていることになる。なぜそこまで、危険を冒して。

 緊張を解けぬまま推測を続けていると、クィーンの低くよく通る声が耳に届いた。
「トリトンの密告がなかったとしても、あなたとウラヌスの関係はそう長くは隠せなかったでしょう。…この王国では。」
 “トリトン”。その言葉を聞いて、ネプチューンは少しの間静止した。うなだれて、一つ溜息をつく。最も信頼していた部下に、裏切られていたと知って。…トリトンとは、幼いときから一緒だった。代々、海王星マリンステーションを管理してきたネプチューン族を補佐する役職にあり、血縁的にも近い種族だった。そのトリトン族の今の長が、自分の部下であったトリトン12世。
 彼女は部下であると同時に、ネプチューンの親友でもあった。そして自分を、親友以上に慕っていた人でもあった。ネプチューンがウラヌスに恋をした後も、禁忌によってウラヌスと結ばれた後も、星の定めに従ってネプチューンにずっと付いてきていた人だった。「誰よりもあなたの幸福を望むから」と、自分への想いを諦めて、ウラヌスとの仲を一番応援してくれた人でもあった。そのトリトンが密告してきたことで、事態が露呈したとクィーンは言う。言われて、一時の混乱を覚えたが、しばらくすると落ち着いた。
 言葉はいつも、本音を示すとは限らない。トリトンは、本当は許していなかったのだ。自分とウラヌスの関係を。

 コンピュータを冷やすための冷気らしきものが、ネプチューンの頬を撫でた。ここがヴァーチャルな空間であっても、温度や臭い、物体の感触は現実空間と同じく忠実に再現してある。部屋の寒さを思い出して、手で腕を軽くこする。いつの間にか鳥肌が立っていることに気づいた。
少しの沈黙の後、クィーンが再び口を開いた。
「ラボで覚醒するとき、あなたに言った言葉を正確に覚えていますか?」
 言われて、ネプチューンは、眼前の白銀の人を凝視した。
 忘れるはずはなかった。
「“王国への絶対忠誠を誓えば、ウラヌスを愛し続けても構わない”
 “覚醒すれば転生が約束されて、ウラヌスに永遠に出会い続けることが出来る”と。」
 クィーンはネプチューンの発言を受けて、目を伏せた。その表情は、どこか憂えを含んでいるようにも見えた。初めて見る顔だった。
「そう。…何のために、私が転生を施すか。」
 クィーンは立ちあがって、ネプチューンに背を向けた。そして仮想デスクの隅に置いていた物を手に取った。こちらに向き直ってきたとき、それが手鏡であることが確認できた。その手鏡の背は翡翠色をしていて、中央に海王星の紋章が刻まれていた。それがこれから自分の一生涯の持ち物になることを、ネプチューンは本能的に知った。手鏡はクィーンの手から離れて宙に浮かび、そしてゆっくりと自分の方に移動してきた。音もなく移動し、自分の胸の前までやってくる。鏡はそこで静止せず、そのまま自分の胸の中に入っていった。痛みは全くなく、何かあたたかいものが胸全体に広がった。鏡が全て自分の体の中に入った後、ネプチューンは胸を押さえてみた。あたたかい。胸の奥から、力がどんどん漲って来るのが感じられた。

「それがある限り、あなたはウラヌスと何度でも再会することが出来るでしょう。転生しても、タリスマン同士の共鳴作用によって、誰よりも早くウラヌスを見つけることが出来るはずです。」
 ただし、とクィーンは言って、少し間をとった。
「…ただし、あなたがウラヌスと“会った”とき、別れの瞬間も確実に近づいてきていることを、忘れてはなりません。あなたが転生して、ウラヌスが持つタリスマンと呼び合うということは、世界が破滅に向かいつつある前兆。お互いのタリスマンが強く共鳴し合っている間は、外部太陽系戦士同士の力の反発は抑えられます。…力を合わせなければ立ち向かえないないほどの、深刻な事態が発生しているということです。
 ただし破滅の危機が去った後は、それぞれがまた元の警護位置に戻っていけるように、力の反発が再開します。もしウラヌスと共に少しでも長く在りたいのならば、二人でいるうちに、たくさん努力なさい。あと一人のタリスマンの持ち主となるセーラープルートにギリギリまで遭遇せぬよう、戦い続けなさい。」
 ネプチューンは胸に手を当てたまま、クィーンをじっと見た。冷酷無比な支配者であるはずのクィーンが、なぜここまで施しを行うのか。その真意がわからなかったから。外部太陽系戦士としての職務をまっとうさせるための、サービスか。それともただのきまぐれか。いや或いは…。ネプチューンの思考を読んでいるかのように、クィーンは間をとった後、発言を再開した。
「…クィーンとして出来ることは、ここまでです。私があなたに施したことを、呪縛とみるか幸とみるか。それは、あなた次第。」
 その言葉を聞いたとき。
 ネプチューンは、クィーンが神でも悪魔でもあるように思えた。



 それからしばらく後。約束通り、ネプチューンはウラヌスと再会していた。“トンネル”と聞いていたため、細長くて陰気な大穴だろうと思っていたが、意外と拓けた空間に送られていた。そこは無数の星がまたたくスターバーストのような場所で、暑からず寒からず、風も匂いもない不思議な空間だった。遠くに見えるところでは、星が突然消えたり現れたり、光やガス雲が異様に引き伸ばされて弧を描いたりしていた。…たしかに周囲では空間同士を繋ぐ特殊な力が働いているようだが、自分達がいる場所は平穏そのもの。ネプチューンは、最後にこの場所を提供してくれたクィーンのことを不思議に思った。そしてそれ以上に、“星の間”でクィーンが言った或る言葉が頭から離れなかった。

―――良く似ている。あなたと私は。

 何が似ているのか、よくわからなかった。命令を遵守させ、時に罰を与える側である絶対的権力者と、命令に背いて、禁忌を重ね続ける危険因子。王族と、それ以外の種族。瞳の色も、“力”の使い方も。クィーンと自分では、全然違う。

 はたと思い返す。祈りの間であの質問をぶつけたとき、クィーンが僅かに見せた動揺。あのとき自分は、“クィーンが守りたいものは、王国とプリンセスのどちらなのか”と問うた。その質問をした理由は、今のプリンセスはどう見ても王位を継ぐ器ではない、と思っていたから。
 たとえば自分とウラヌスの関係と同様、“禁忌”という言葉で表される掟破りの恋をして、月の王国の秩序を乱している。地球国からも長寿への妬みを買うのに一役買っている。それにクィーンのような時を読む力を持たず、幾つになってもただ感情の赴くままに行動して、四守護神とルナに尻拭いさせている。持っている“力”も、まだジュピターにさえ敵わない程度のもの。ジュピターに敵わないのならば、それよりさらに強大な力を与えられている外部太陽系戦士にはまず敵わない。また、ヴィーナスのような類稀ない美貌を備えているわけでもなく、マーズのような巫女的なカリスマ性もない。無論、マーキュリーのような桁外れの知能を持っているわけでもない。ただ、“クィーンの実娘”というだけの人だ。しかしそう思っていても、プリンセスの後ろには常にクィーンがいるとなれば、誰も口にすることは出来ないことだった。
 このまま王位を継がせ、地球国王子と婚姻させてしまえば、国はきっと滅ぶだろう。そのことを、あれだけ頭の切れる女性…クィーン・セレニティが気づいていないはずはない。それなのに、なぜいつまでも目を瞑り続けるのか。もっと適役な駒が、自分の手のうちにあるのに。ネプチューンは、プルートの穏やかな微笑みを思い出した。

 …もしかするとクィーンは、王国の未来よりも、今この瞬間の幸福を守ることを第一に考えている人に過ぎないのではないか。…だとすれば、ウラヌスと再会するために覚醒した自分と似ていなくもない。
 もちろんその答えは、クィーン以外の誰にもわからなかった。
 あのとき、クィーンは質問に答えてくれなかった。しかしその後自分にこの場所を提供し、ウラヌスと逢わせてくれた。この急変ぶりは何か。…クィーンは本当に、冷徹な支配者なのか。それともあえてそういう役を演じているだけなのか。それとも今のプリンセスには、切り捨てるには惜しい何か特別な力でも備わっているのか。考えを進めようとすると、頭の奥で鈍痛が走った。 

「子供が産めたら、良かったのに。」

 不意に、頭上からウラヌスの低く澄んだ声がした。覚醒後、自分とは別のラボに隔離されていたウラヌスは、ネプチューンがこのトンネルに入った少し後にここに来た。再会の喜びは怒涛のように押し寄せたが、同時に、24時間後には再び別れるという約束は強い虚無感を与えていた。ネプチューンは、ウラヌスのあたたかく柔らかな感触を素肌で感じながら、ただ黙っていた。
 ウラヌスは腕の中にネプチューンを抱え直して、また呟いた。
「何も残せなかった。僕と君が一緒に生きてきた証拠は、何も残らない…。」
 クィーン以外の者は、外部太陽系戦士の存在を知ることすら許されない。自分達が存在したことは、キャッスル着任と同時に人々の記憶から消されてしまう。それに禁忌で結ばれた自分達は、子孫を残すことすら出来ない。ネプチューンはウラヌスの言葉の意味を解して、額をウラヌスの胸に軽く押しつけた。
「あなたと過ごした時間は、他のものでは換えられないわ。」
 浅く溜息をつく。自分の発言が、嘘なのか本当なのか。わからなかった。



 一日という時間は、一瞬にも無限にも感じられる。ネプチューンにとっては、それは心の整理を付けるのに充分と思わねばならない、ボーナスタイムだった。逢えずに終わると思っていた人と今世で再び逢うことが出来たし、転生後の再会も約束されたのだから。一方のウラヌスは…。同じ気持ちなのかどうか、わからない。ここに来る前、彼女がクィーンとどんなやり取りをしたのか。ウラヌスは何も語らない。ただ、クィーンが指定した時刻が迫るにつれて、その表情に失望と諦念の色を滲ませて、一層強く求めてくるだけだった。

 クィーンに渡された携帯端末の時刻アラームが鳴った。
 見ると、ネプチューンのアラームのほうが鳴っていた。

 先にこのトンネルに入ったネプチューンのほうが、トンネルから早く出なければ体がもたないことは、当然といえば当然だった。ウラヌスは眠っているのか、アラームの音を聞いても微動だにしない。ウラヌスの胸元から顔を上げて瞳を伺うと、彼女は起きていた。表情は動いていなかったが、瞳だけはゆらゆらと揺れている。先に行くことの決心が揺らぎそうになる。しかしまず自分が行かなければ、後で発つウラヌスを悩ませることになる。転生後の再会も、果たすことが出来なくなる。ウラヌスの柔らかな唇に自分のものを重ねて、体を起こす。
 ウラヌスはされるがままで、ネプチューンの背に腕を回すこともしなかった。
「…行くわ。」
 そう言って、しばらく放られていたセーラースーツに手を伸ばそうとする。
 と、ウラヌスがそれを制止した。ネプチューンの腕をしっかりと掴んで、蒼色の瞳を揺らしている。
「ここを出たら、独りで一生戦って死ぬだけだ。このまま居よう。」
 尤もことを言うウラヌスを前にして、ネプチューンはすぐには腕を振りほどけなかった。
 発言を受けて、頭の奥からまた疼きが始まった。前頭から頭蓋骨へと確実に伝わっていくその痛みに、思わず目を瞬かせる。ウラヌスはネプチューンの表情が少し歪むのを、ただ見つめていた。祈りの間で光に包まれて以来、その痛みは断続的に続いていた。クィーンに背くことを少しでも考えると、決まって疼き出す。しかし目の前のウラヌスは、クィーンに背くようなことを口にしても、平然としている。…もしかしたらラボで眠らされている間に、自分だけ何かおかしな操作をされてしまったのではないか。
 遠くの空では、星がまた一つ消えて、闇が増していた。

 頭痛が少しひいたとき、ネプチューンは発言を再開した。
「そうだけど…。転生しても、必ずあなたを見つけるから。」
 ウラヌスは起きあがらぬまま、もう片方の手を伸ばして、ネプチューンの頬に触れた。柔らかな頬の上を、手を滑らせながら進んでいき、翡翠色の豊かな巻き毛に触れた。そのまま指を深く埋めて、耳に触れ、ネプチューンの頭の側面に触れる。手を開いて、髪の上から頭の側面を包み込む。ネプチューンはまた少し苦しそうな顔をした。
 引きとめることで彼女が苦しむのはわかっていたが、最愛の人をこのまま行かせて、一人孤独に果てさせることは出来なかった。たとえそれがクィーンに背くことであっても、今ネプチューンを手放すことは絶対にしたくない。…もちろんウラヌスは、今のネプチューンの苦しみの大本が得体の知れぬ頭痛によるとは、全く思っていない。ただ最後の瞬間まで共に在ることを望んで、彼女を引き止めていた。これまで決して言わないようにしてきた思いの丈を、次々にぶつけていく。

「好きなのは今の君で、君の生まれ変わりじゃない。…何のために今まで頑張ってきたんだよ。転生してまた一からやり直しても、またこんな風に中途半端に別れるだけなんだろ? 転生するといっても、外部太陽系戦士だから転生するんだ。それなら、ずっと一緒にいられる時代なんて、永遠にないよ。」

 ネプチューンは、思いがけず自分を強く引きとめようとするウラヌスに、戸惑っていた。ウラヌスが、自分に対する想いを包み隠さず話してきたのは、今が初めてだったから。言葉で相手を求めるのはいつも自分の役目で、ウラヌスはそれに黙って応え続けてきた人だった。そんなウラヌスの態度は、きっと強い使命感によるもので…。いつも自分のほうの想いが強すぎるせいで引き起こされるものだと思っていた。ウラヌスは、ここでの別れを“仕方ないもの”と受け止めて、ミランダ・キャッスルに着任していく。自分がいなくなって、しばらく泣いても、一人で生きていくことが出来る。そう思っていた。しかし目の前の彼女は…。予想と正反対の行動を見せている。
 そこまで愛されていたとは。今まで気づかなかった。
 愛することに精一杯で、相手にどれだけ深く愛されているのかを見誤っていた。
 今頃気づくとは、あまりにも遅すぎた。

 頭痛が一層ひどくなり、ネプチューンは危うく気を失いそうになった。こめかみに手をやり、押さえる。喜びに浸る時間も残されていない。目を瞬かせて、何とか意識を残し、返事をする。
「…。たしかに転生したら…永遠に別れ続けることになるけど、永遠に出会い続けることも……保証されるのよ…。」
 ウラヌスは退かなかった。ネプチューンが苦しそうな表情を見せるのは、自分より早くこのトンネルに入って一日経過したことによる、体への負担のせいだと思った。クィーンの話が本当ならば、自分達はもうすぐ基本的な生命エネルギーまで奪われ始め、死ぬことになる。そしてもう一つ。自分の発言に、ネプチューンの心が少し揺れているせいもあると思った。…絶対に行かせない。一層はっきりとした、もっともな主張でネプチューンを引きとめる。
「ここだったら、一緒にいられる。消えるときも。」
 ウラヌスの大きな手が、ネプチューンの腕を一層強く掴んだ。
 ネプチューンの頭は、もう割れそうなほどに痛くなっていた。ここに留まりたい。クィーンから最初このトンネルの存在を知らされたとき、自分もそう思ったではないか。二人で留まれる場所があって、ウラヌスも留まろうと言っているのに…。なぜ自分は、クィーンとの約束を生真面目に守ろうとしているのか。思考が激しく混乱し始める。誰よりも、大切な人。誰よりも、好きな人。誰よりも、失いたくない人。かけがえのない、無二の存在。
 だからこそ、離れたくない。
 だからこそ、今は離れなければならない。…再び巡り会うためには。

 頭の痛みが、少し和らいだ。思考の枷が緩む。こめかみにあてていた手を、頭にそっと触れているウラヌスの手に重ねる。
「でも、また会えるのなら…。あなたと私が共に在った証拠は、永遠に残るわ。」
 そこまで言うと、ウラヌスの手が離された。
 掴まれていた片腕からも手が離され、軽い圧迫感と手形が肌に残った。ウラヌスは、ネプチューンから目を逸らした。絶望と諦念に満ちた顔で、遠くの星を眺め始める。流れ星が起こって、近くの星に激突し、消えていった。ネプチューンはまだ動けずにいた。ウラヌスがもう自分を引きとめようとしないことに、深い悲しみと、漠とした不安を感じて。動けなかった。
 時間は確実に迫ってきていた。ウラヌスの乾いた声が、薄闇の中に響く。

「転生しても、僕は君を思い出さない。
 思い出したら、また離れるのなら…。思い出さない。」

 それはクィーンに対する、ウラヌスの精一杯の抵抗だった。思い出さないことによってネプチューンを一時的に哀しませたとしても、思い出してネプチューンがまた自分と禁忌を重ねるより、まだましだと思った。…要は、覚醒しなければいいのだ。自分がウラヌスの転生体であることを、未来では思い出さなければいい。戦士としての宿命を、頑なに拒否すればいいのだ。そうすれば、ネプチューンは苦しまなくて済む。自分と出会って、またクィーンの手の上で踊らされなくて済む。代わりに、別の、もっと普通の人と…。普通の男性と、普通に恋愛して、家庭を築き、幸せを手に入れることも可能になるはずだ。
 再び会えたとしても、それは別人。
 自分が愛したネプチューンは、ただ一人。
 今目の前にいる、ネプチューンただ一人。
 それならば、いまきちんと別れておくほうが良い。

 遠くを見つめる蒼色の瞳は、もう揺れていない。ただガラスのような硬質さをもって、淋しく光るのみ。横たわってそっぽを向いたままで、先に行くネプチューンを見送る気配もない。その様子とその発言を受けて、ネプチューンは顔を下げた。頭痛はおさまっていたが、手を顔にやらずにはいられなかった。

 時刻アラームが再び鳴った。
 見ると、ウラヌスの携帯端末のほうが鳴っていた。

 少しの間があった後、ウラヌスが体を起こした。何も言わず、ネプチューンと目を合わせようともせず、自分のセーラースーツに手を伸ばす。ネプチューンの側に置いてある自分の服を目指して、上半身を一時ばかりネプチューンと交差させる。服を掴んだウラヌスが、ネプチューンから離れようとしたとき。ネプチューンがウラヌスの腕を掴んだ。ウラヌスは、掴まれた腕に濡れた感触を受けて、横向き加減のまま一時静止した。ネプチューンが泣いているのがわかった。俯いているネプチューンは、搾り出すような声しか出せなかった。
「…………、……。……、思い出して…。」
 その声を聞いて、ウラヌスはようやくネプチューンの顔を見た。表情は、先ほど苦痛に歪ませていたものと違う、本当の哀しみを湛えていた。
 ウラヌスがどんなつもりでそんなことを言ったのか。ネプチューンはまだ理解していなかった。けれどたとえどんな理由であっても、最愛の人の記憶から永遠に抹消されるのは、耐えられなかった。たとえ月の民全てに忘れ去られても、たとえ自分のことを知っている一族全員を失っても。ウラヌスだけには、忘れられたくなかった。
 薄浅葱色の瞳が大きく揺らぎ、大粒の涙が溢れ、次々に頬を伝っていった。



 時は流れ、20世紀の地球。ネプチューンと共に禁忌を犯したウラヌスは、天王はるかとして転生し、外部太陽系戦士として再び覚醒していた。その夜、はるかは自宅から月を眺めていた。満月。梅雨明けの良く晴れた夏空で、冷たく光るその白体。冷えたスミノフ・アイスを飲みながら、それを見上げる。無意識に、かつて自分達の王国があった“晴れの海”を見つめていた。

 不意に、携帯電話が鳴った。着信メロディは、Luiz Ecaの名曲“The Dolphin”。…みちるからだ。安易な選曲。もちろん期間限定で、いつもは“Epilogue”という曲をみちる用の着メロに使っている。タンブラーを置いて、ズボンのポケットを探る。程なく、音源に到達する。
「…もしもし。」
「ああ、はるか。夜遅くに電話してごめんなさい。…。特に用事はないんだけど、ちょっと今日は…。どうしても眠れなくて。」
 何だか申し訳なさそうな声で、電話してきた理由を述べる彼女に、はるかはふっと笑った。はるかが笑うのを聞いて、受話器越しにみちるも苦笑した。今家にいるの?と聞かれて、うん、と返答する。みちるのほうも、いま家にいるらしかった。
 みちるは少しの間、今日一日の出来事や、はるかが興味を持ちそうな話をとりとめもなく続けた。しばらくすると話題がなくなってきたのか、ときどき沈黙が混じり始めた。はるかは、熱くなってきた受話器を耳から少し離して、みちるへの応対を続ける。電話を掛けてきた当初より気持ちがだいぶ鎮まってきたのか、みちるの沈黙時間はどんどん長くなってきていた。

 置時計を見ると、午前0時20分を指していた。はるかは、話をまとめて電話を切るタイミングを見計らい始めた。
「少しは寝れそう?」
 みちるは曖昧な返事を返してくる。寝れそうだけど、まだはるかに構ってもらいたいような感じだった。ずっと立ったまま応対していたはるかは、電話を持っているほうの腕に疲れを感じてきていた。出窓の張り出し口にもたれかかり、シャツのボタンを外す。氷が溶けて幾分水っぽくなった酒を口に運び、飲み干す。疲れと眠さと、酔いで、頭が少しぼうっとし始めていた。
「……。今から行ってもいい?」
 そう言われて、はるかは少し目を見開いた。電話をもう片方の腕に持ち替えて、耳にあてる。今は土曜の深夜。週末とはいえ、しつけの厳しい海王家が毎週のようにみちるを送り出してくれるのだろうか。それに、彼女はもうすぐ大きな音楽コンクールを控えているはず。どうも腑に落ちず、とりあえず後者のほうの質問をぶつける。
「もうすぐコンクールじゃないの?」
「…。ええ。それもあって、余計…。」
 先ほどより一層元気のないトーンで返事が返ってきた。声を聞いて、はるかは再び思考をめぐらせ始めた。

 もしかしたら、みちる付きの執事である牧野さんに“OK”をもらっているのかも知れない。…絵と音楽をはじめとする複数の芸術分野に長ける彼女は、常人より何倍も感性が強い。疲れたり、神経が昂ぶったりする度合いも並みではない。だから、執事の牧野さんでも手に負えない状態になることが時々起こる。もちろんそんなみちるを知っているのは、自分と牧野さんと、みちるの母くらいだった。

 以前、今より遅い時間にみちるに電話されて、家まで迎えに行ったことがあった。そのとき牧野さんとはまだ何度かしか顔を合わせたことがなく、法外な時刻の訪問客をすぐ追い返すだろうと思っていた。しかし実際はその逆だった。朝か夜かよくわからないような時間にやって来た自分を見て、ほっとした表情をしたのだ。
“私では、お嬢様のお力になれないことがあります。今がそうですし…、今後も起こり得ることです。その折は…、お嬢様の傍にいてあげてください”。
 もう六十を少し過ぎた老紳士で、みちるの両親以上に長く、みちるの成長を傍で見守ってきた人だった。高齢のため、もうすぐ辞めるそうだが…。そういう人に直接言われたことは、それなりの重みを持って、はるかの心に残っていた。牧野さんも今日は“OK”ということなら、みちる側に問題はない。
 明日は何も用事が入っていないことを思い出して、返事を決める。
「わかった。着いたら、入り口のインターフォンでとりあえず呼んで。昨日、暗証番号が変わったから。」
 ありがとうとみちるは言い、電話は切れた。

 電話が終わっても、はるかはしばらく窓辺から動かなかった。話中に持って来て開けた二本目のスミノフ・アイスが、まだ半分くらい残っている。それをタンブラーに継ぎ足しながら、携帯電話をポケットに戻す。そのとき、ポケットの中で変身スティックが指に触れた。携帯電話を手離し、スティックを手で軽く包み込む。硬い感触を受けて、また月のことを思い出した。
 再び“晴れの海”を見つめる。見つめるたびにいつも、得体の知れぬ虚無感を感じる。“世界を沈黙から救えないかも知れない”という虚無感とは別の、もっと昔からある強い思念。
 それは、記憶に関することだった。みちるは、前世の記憶の大部分を取り戻している。覚醒も自分よりずっと早かったし、一つ一つの記憶もかなり鮮明だった。一方、自分はまだ記憶の大部分が欠落したままだ。…ただ一つ。鮮明に思い出していることは、前世でも今と似たような関係を彼女と結んでいて、その想いは今よりずっと強烈なものだったということ。転生した今でさえ、ふとした拍子にその記憶が出てくると、居ても立ってもいられない状態に陥る。みちるにすぐ会って、どこにも行かないように抱き締めていたい衝動に駆られてしまう。それ以外の記憶には全てもやがかかっていて、頑張ってもなかなか思い出せなかった。夢の中でさえ、垣間見ることが出来なかった。

 現世においてだって、そうだ。みちると自分では、お互いを初めて認識した時期にかなりの差があった。みちるはエルザ・グレイに紹介されるずっと以前から、自分のことを知っていたらしい。自分の前にも、かなりの回数現れていたらしい。気づかないほうがおかしいくらい、頻繁に。間近に。“あの日、あのレース場の、あの場所にいたわ。”と言われて、その場所に立つ彼女の姿を思い描こうとする。しかしいつも頭にもやがかかって、思考が中断されてしまう。それでも頑張って思い描こうとすると、得体の知れぬ虚しさが込み上げてきて、はるかの思考を完全に止めてしまうのだった。

 視界の端を、光がかすめた。月から目を離す。その光が、飛行機の点滅灯だと気づくのに数秒もかからなかった。思考が徐々に現実に引き戻されていく。あと30分もすれば、みちるがやって来る。部屋はとくに散らかってないけれど、寝室と風呂くらいは点検しておこう。
 はるかは月に背を向けて、ようやく窓辺を離れた。

Fin.
<<<前編『Beyond Reason
Photo
Special Thanks:彩歌様
[ページ先頭へ][あとがき][前世編追加設定まとめ][小説目次ページに戻る][トップページに戻る

※この作品は、フィクションです。作品中に登場する名称や出来事は、実在の人物や出来事と一切関係ありません。