A Sleeping Bee
[Scene 2: After Midnight]
初稿掲載日:2005年4月17日 / 最終修正日:2008年5月1日 / 現代編追加設定まとめ / 作者:daydreamer
| << 前編 海王洲まで、車で15分弱。普段は30分位かかるのだが、流石にこんな朝早くから、しかも日曜の朝4時過ぎから車を運転している人は少ない。時々すれ違うのは、長距離搬送用の大型トラックと、遠方に遊びに行くらしい若者の車やバイクくらい。誰もいない交差点の手前までくると、信号が黄色点滅していた。ゆるゆると通り過ぎて、海王洲に繋がるバイパスをひた走る。星はもう、どうでも良くなっていた。みちるの顔が見たかった。 時計を見ると、4時40分を指していた。辿り着いた海王洲のコンドミニアムの前で、車内からみちるに電話をする。“すぐ出てくる”との返事を受け、電話を切る。駐車場に車を入れて彼女のいる1306号室まで迎えにいくよりも、すぐ出てきてもらって車を出したほうが、余裕をもって日の出に備えられる気がした。 待ち時間のうちに、助手席に置いていた使い捨てカイロの外袋を開けて、二つまとめて片手でシャカシャカと振り続ける。振りながら、フロントガラス越しに車外を何となく眺めた。そうすると、街燈の下のちょっと小高い場所に人影が見えた。一瞬訝しく思うも、よく見るとそれは銅像で、この街に住む有名な彫刻家による作品だった。海神ネプチューンと、その子トリトンを表現した親子像。日中に見かけたことは何度もあるが、夜中に見るのは久しぶりだ。…暗闇の中、毛むくじゃらで筋肉隆々とした男神像や半身半魚の像を見ていると、妙な気持ちになる。カイロを振る手が止まる。 “そういえばネプチューンは、神話では男神だったんだよな” “銅像で見ると、むさくるしい感じの海の荒くれ男だけど…。色々な生き物を創造をする芸術家の一面もあった。馬もイルカも、彼が創った。馬の失敗作が、ラクダとキリン。そういえば『キリン座』っていう星座があったな…。『バイク座』はないのに” 暇に任せて由無し事を考え出すと、キリがなかった。適当なところで自省して、昨日の缶コーヒーの残りに口をつける。自分のコンドミニアムにはないものを見たせいか、思考はひどく冒険的だ。天王洲のコンドミニアム前には、こんな銅像は立っていない。ウラヌスを思わせる銅像は、立っていない。その理由は単純だった。 東京湾埋め立て事業の一環として作られた商業地区“三角州”の中でも、みちるは海王洲に住んで無限洲を監視していた。“この街の名前が自分の名字と被るから”ということ以外にも、海王洲にはコンサート会場や美術博物館、TV局や各種スタジオ、アトリエなど芸術関連施設や企業が集められている。また街が芸術家を優遇する政策をとっていることもあって、最近は国内外から著名な芸術家達が集まってきてるらしく、マスメディアはこの街を“日本のパリ”と呼ぶようになってきていた。先の彫刻家も、そのような事情でこの街に移り住んできたらしい。…芸術家といえば、みちるもそうだ。使命と関わる要監視エリアの一つではあるが、彼女にとって一番便良く暮らせる街でもあった。同じ理屈で、自分が住む天王洲にはスタジアムや総合体育館、スポーツショップなどのスポーツ関連施設が集められていて、今も建設ラッシュと企業誘致が続いている。あと一つ、冥王洲には学術関連の施設や企業が集められているが、この意味はまだわかっていない。 街燈の下では、小さな虫達が光に向かって夢中でたかっていた。 待ち始めから5分くらい経ったとき、みちるが普段着で現れた。フロントドアのガラスをコンコンと叩く音で、街燈から目を逸らす。ドア・ロックを解除すると、外の冷気と一緒に彼女が乗り込んできた。助手席に座った彼女の顔は少し白くて、鼻先は赤い。まだ風邪が治っていないのではないか、と心配になる。それでも口数は並にあり、話す声もそれほど鼻声ではなかった。 エンジンをかけようと手を伸ばして、自分の膝の上に載せていた毛布の存在に気づく。みちるが座るときに邪魔なので、自分の膝の上にどけていた毛布だ。それとカイロを彼女に渡して、暖をとるように勧める。そうするとみちるは“こんなに朝早くからごめんなさい”と、さっきも聞いたセリフを繰り返して、申し訳なさそうな顔になった。添えられていた微笑には、何も切迫したものは感じられなかった。 その笑顔を見て少しほっとしながら、車を発進させる。電話をもらったときには、何かあったのかと心配したが…。何でもないのなら、それに越したことはない。本当に、ただ単に海を見に行きたくなっただけなのなら、時間の許す限り今日は付き合ってあげようと思った。それに…。今日一日はとても長い。スタートがこんな時間からだから、ある程度元気じゃないとないと夜まで持たないだろう。…多分、みちるも僕も。 午前5時。真っ暗な海辺に到着して、車の中から水平線の方を見る。さすがに“外に出てみたい”とまでは言い出さなかったので、車内から夜明けを見ることに。しばらくするとみちるは口数が少なくなり、あるとき完全に途切れた。助手席を見ると、毛布に包まれて、いつの間にかスヤスヤと眠ってしまっているみちるがいた。“夜明けの海を見に来たんじゃなかったのか?”と内心訝しく思いながらも、まだ外は真っ暗なので寝かせておくことに。日の出は5時半頃だから、その時に起こせば良い。起こせば良い、ということは…。自分は寝てはいけないということ。何だか腑に落ちないながらも、隣で眠るみちると外の海辺を時々チェックすることにした。じっとしていると眠くなりそうだったので、カフェイン含有量が多いガムを噛み始めた。 日の出までの待ち時間に、ポケットに仕舞い込んでいたペア・リングの存在を思い出した。取り出して、何となく箱を開いて中を確認する。喜んでもらえると良いのだが、どうなのだろうか。やっぱりこんなものもらったら、重たい感じがしないかな。婚約するわけでもないし、出来ないし…ただ恋人というだけの話なのに。でもこれ以外に、一番ストレートな形でみちるに気持ちを伝えるプレゼントはないような気がしていた。 あれこれ考えていると、自分達の車の横をトラックが一台走り去っていった。その音で起きたらしいみちるは、小さく吐息を立てた。指輪の箱を慌てて閉める。ポケットに仕舞い直さずに掌で箱を包み込んで、膝の上に置く。何でもなかったかのように、海の方を見て、状況を伝える。 「まだ日の出まで15分位あるから、寝てて良いよ。時間になったら起こすから。」 そう言うと、みちるは頷いて、少し苦笑いした。 「私から言い出したのに…。ウトウトしてたわ。ごめんなさい。はるか、眠くない?」 首を軽く横に振る。眠くないといえば嘘になるが、多分みちるよりも頭が起きている気がしていた。再び真っ暗な海のほうを見る。しばらくすると、みちるが口を開いた。 「…。それは?」 声をかけられて振り返ると、彼女の視線は自分の手元に向いていた。指輪の箱のことをいっているらしい。いまさらポケットに仕舞うのもおかしいと思い、箱の中身を打ち明ける。 「あ、これ…。ペアリング。」 手渡して、箱を開かせる。箱を開いた後、みちるは十秒近く静止していたので、追加説明を付け加える。 「誕生日だから、プレゼントに…。」 急に照れてしまって、その後は言葉が続かなくなった。みちるがじっくりと箱の中身を見ているものだから、何だか照れ臭くてしょうがない。しばらくすると、みちるは柔らかい笑みを見せた。 「ありがとう。それでこの前、指のサイズを聞いたのね。」 さすがにお見通しだったようで、苦笑いしてこちらも頷く。その後で、ペア・リングなのに二つともみちるに手渡してしまっていることに気づいた。慌てて詫びて、みちる用の指輪を彼女の左手の薬指に通す。もう片方の指輪は、みちるが自分につけてくれた。そこで“ヴァイオリンを弾くとき以外は、出来るだけはめておくようにするね”と言われて、今さらながら日常生活における指輪の面倒さに気づく。そういえば楽器を弾くときに指輪は邪魔だ。自分もレースに指輪をはめて出たら、グリップが握りにくいかも知れない。軽く落ち込みながら“ペンダントやネックレスにすれば良かったかな…”と呟くと、アルトヴォイスが優しく否定した。 そうこうしているうちに5時半になり、あたりが少しずつ明るくなり始めた。明るくなってきても海は意外と変化に乏しくて、空を見ているほうが面白かった。薄い黒色から濃い青色へ、それから色が薄れていき、次第に赤く色づいていく。そうかと思うと、今度は少しずつ澄んだ空色に染まっていくのだった。空の変化に伴って、それまで変化の乏しかった海もようやく色づいていく。海を色づけているのは空。陽の光を十分に浴びなければ、多くの海の生物は生きていけない。そして空も、海なしでは成り立たない存在。海から蒸発する水蒸気や気圧差は気流を起こし、平地では雨や風となる。それは人々にとって恵みの雨となり、心地良いそよ風となる。もし海がなければ、空を含めて地上は無風でとても乾いた空間となるだろう。 人は“海と空は繋がっていない”という。たしかに視覚的には繋がっていない。けれどお互いにとって、不可欠な存在であることに変わりはない。僕たちも多分、二人でセットなのだろう。みちるという海の水面に自分の姿を映すことで、自分は初めて己の弱さに気づかされたを。弱くて自分の運命から逃れようと必死にもがいている赤ん坊のような自分に気づかされた。一方のみちるは、初めて会った時に比べると、びっくりするほど色んな表情を見せてくれるようになっていた。世間では天才画家・天才ヴァイオリニスト・秀才・人嫌いといわれ、初めて会った時もエルザからそんな風に紹介された。第一印象は正直言ってあまり良くなかったし、人形のように完成された表情をいつも崩さない人だと思っていた。また自分のことを何でも見透かしていて、使命に関わることではとげとげしい言葉を容赦なく言ってくる嫌な人という印象が強かった。たとえば“私は手段を選ばない”“甘いことは言ってられないの”とか、“誰もが幸せになる方法はないわ。世界を沈黙から救うためには、何らかの犠牲が必要なの”“そうやって、いつも逃げるのね”とか、セーラーウラヌスとして生きていく覚悟がまだ固まっていなかった当時の自分には、きついと感じる言葉を色々言われた気がする。 そしてそれが本当の彼女の姿ではないと気づくには、少し時間がかかった。みちるより覚醒が遅くて、この世界の危機的な状況もまだ把握していなかった僕は、そのことに気づくまでは言葉や行動でたくさん彼女を傷つけてしまっていた。彼女はただ黙ってそれに耐えて、使命を遂行していた。気づいた後は、自分の前では実は色んな表情を見せていたことも知った。人前ではあまり喜怒哀楽を表に出さない人だが、自分の前では年相応の垢抜けた顔を見せてくれる。…光の届かないはずの静寂な深海にいる彼女に、空から一閃の光が届いたともいえる状況。そして何だかよくわからないけど、そんな彼女を見てたら、いつの間にかこちらまで彼女のことを好きになってしまっていた。 ようやく顔を覗かせ始めた朝日を眺めながら、少し寝ぼけた頭でそんなことに思いを馳せる。今日は早起きし過ぎたせいか、どうもテンションがおかしかった。 それからしばらくして最近オープンした大型の美術博物館に移動し、午前中いっぱい美術品等の鑑賞に費やした。午後からは旧友のエルザ・グレイとしばらくぶりに会い、会食して昔話に花を咲かせた。エルザとはかつて短距離とハードルの決勝でしばしば顔を合わせたライバルだったし、みちるの親友でもあった。そして何より、みちると自分を引き合わせてくれた人だった。走ることが本当に好きな人で、自分が陸上を辞めた後も何度か誘いをかけてくれたこともあった。今では全国区の選手で、国内外での大会や強化合宿に追われる身。日焼けした肌と、短距離用に鍛え上げられた筋肉の付き具合は、普段着でいても良くわかった。そんな彼女の姿が、今は懐かしくも眩しく感じられる。ただ風になりたくて走り続けていたあの頃、自分のことをライバル視しながらも友好な関係を築いてくれたエルザは、今も変わっていない。“ピンクの弾丸”と呼ばれていた、あの頃のままだ。陸上を辞めて、セーラー戦士として歩み始めた自分には、まっすぐに生き続ける彼女が眩しかった。世界は終わらないと信じて、精一杯に生き続ける彼女が、眩しかった。 それでも彼女は、会食の席で笑いながらこう言った。 「あなたより速い人には、まだ会ったことがないわ。本当よ。だってあなた、風みたいに速かったんだもん。」 その言葉を聞いて、思わず苦笑する。隣にいたみちるも、何故かつられて苦笑していた。 夕方にエルザと別れて、みちるのショッピングに軽く付き合った後。夜は、夜景が綺麗なレストランで夕食をとった。本当は東京タワーにも連れていきたかったが、みちるの疲れて眠そうな顔を見ていると、予定変更せざるを得なかった。適当なところで切り上げて、天王洲の自宅に連れていくことに。酒を飲んだため車をレストランの駐車場に停めたまま、タクシーで帰ってきた。みちるはやっぱり眠そうだったが、その表情から、今日1日の出来事に満足してくれていることは確認できた。久しぶりに、たくさん笑顔が見れた気がした。 家に戻ってきて、二人ともお風呂に入った後。みちるに飲み物を出そうとして、あるカクテルのレシピを思い出す。思い出して、早速冷蔵庫から材料を取り出し、キッチンに並べる。ネプチューン・カラーのカクテルを作ろうと思って、最近試作していた一品だ。もちろんオリジナルじゃなくても緑色の美味しいカクテルは色々あるし、自分で作る場合でもメロンリキュールにソーダを入れればすぐ作れる。しかしどうせ作るなら、みちる専用のオリジナルを作ってあげたかった。簡単に作れて、かつアルコール度数がそんなに高くないグリーン・カクテルを。わざわざ家に来てくれるのだし、その位のサービスは当然だろう。 シェイカーに氷を詰め、メジャーカップで材料を加えていく。蓋を被せてソフトに振って、ミキシンググラスに静かに注ぎ込む。それからトニックウォーターの栓を開けながら、みちるの方を見た。こちらに背中を向けて、リビングに置いてある観葉植物の前で屈んでいる。彼女の体には少し大きそうな、自分のパジャマを着て。こちらの視線に気づいたのか、あちらが急に話し出した。“今日はまだお水あげてないわよね”と聞かれて、うんと答える。そうすると、みちるはジョウロを持ってキッチンに入ってきた。フローラルの芳香が漂う。酒が入っていなければ、思わず身動いでしまいそうな距離まで近づかれる。けれども洗い場に置いた霜つきのシェイカーをちらっと見ただけで、奥にあるグラスにまでは気づかなかった。蛇口から水を出す音が、妙に瑞々しく響く。水音を聞いていると、軽い頭痛を覚えた。外の喧騒をシャットダウンしてようやく二人きりになると、1日の疲れもどっと出てきた気がする。さっき風呂に入ってゆっくり体を休めたつもりだったが、背骨の奥に溜まってる疲れは抜けきれていない。頭痛の余韻に目を瞬かせながら、盛んに気泡をあげる液体をバースプーンでかき混ぜる。グラスの中には、エメラルド・グリーンの海で白い小波が静かに立っているような光景が広がっていた。 出来上がった酒をグラスに移し、余った材料で自分用にウォッカ・トニックを作った。二人分のカクテルをリビングのテーブルに運び、ソファーに座って、みちるが水遣りを終えるのを待つ。ジョウロを置いて、手を洗ったみちるがソファーに戻ってきた。顔はだいぶお疲れ気味で眠たそうだったが、見慣れない緑のカクテルを見て、興味をそそられているようだった。“グリーンのほうはみちる用”と説明すると、彼女はグラスに口を付けた。色以外にも、やや甘めでさっぱりとした飲み味になるように作ったつもりだった。彼女はライト・グリーンの液体を少し口に含んだ後、しばらく何か思案して、それから笑顔になった。 「チャイナ・ブルーに少し似た味だけど、あれより甘くなくて、さっぱりしてるわ。…名前は、何ていうの?」 そういわれて、そういえば名前を考えていなかったことに気づく。“みちるの誕生日用カクテル”と念じながら作ったせいか、オリジナルなのにそこら辺のことを何も考えていなかった。仕方なく、今名付けることにする。 「考えてなかった。…。“Mermaid's Dream”とかは? “Neptune”でもいいけど、そのままだよな。」 「Mermaid's Dream….可愛らしい名前ね。ありがとう、また作ってね。」 そう言って微笑むと、みちるはまたゆっくりとグラスを傾け始めた。気に入ってもらえたことに、内心ホッとする。自分はというと、みちるのカクテル材料の余り物で作ったウォッカ・トニックを飲んでいた。今日5杯目のアルコールが、体に程よく浸透する。疲れているせいか、酒の回りが早い。みちるも今日はよく飲んでいて、ほろ酔い気味だった。 ふと、昨日の夜ケーキを買ってきていたことを思い出して席を立つ。もちろん今日のために買ったものだが、甘いものが苦手な自分でも残さず食べれるように、箱の中身はチーズ・ケーキになっていた。幾らなんでも、みちるの誕生日のために買ってきたケーキを残すわけにはいかないから。箱を冷蔵庫から出して、ケーキを皿に取り分けてリビングに戻ってくると、みちるが席を移動していた。南向きのテラスのほうに歩み出て、窓ガラスに軽く手をつけて夜景を見ている。この部屋から見える夜景は彼女のお気に入りで、一度ならず絵に描きとめていることがあった。ここに泊まりにきたとき、自分がお風呂に入っている間や出掛けている間の待ち時間に、その光景をさっとスケッチして紙で持ち帰る。そしてしばらく絵を描かないなと思っていると、その絵には人知れず色が付けられて、個展に出されたり、はるかにプレゼントされたりするのだった。私的な想い出を勝手に芸術品に仕立て上げてしまわれることに対して、以前は少し抵抗感を覚えていたが、今は何とも思わない。飾り気がなくてただ広いだけのこの部屋で、彼女の絵心をくすぐるものがあったとすれば、それは奇跡に近いことだから。 そんなことを思い出しながら、ふっと表情を緩める。持ってきたケーキをテーブルにおいて、もう一度彼女の方を見る。酒のせいなのか、部屋の照明を少し落としているせいなのか、その後ろ姿がとても艶っぽく見えた。自分の方に振り向かせたくなって、近づいて、後ろから抱き締める。フローラルの芳香が鼻をくすぐる。みちるは少し顔をあげた。微笑を湛えたその顔は、夜景と同じくらい綺麗だった。ずっと見ていても飽きない気がしたが、じっと見られている方は困るだろうなと思い、視線を変える。窓外で静かに瞬く地上の星星を、無言で見つめ始めた。 時間にすれば、2分くらいだったかも知れない。ずっとこうしているのもなんだなと思い、みちるの首筋に口付ける。その行為に対する弁明の言葉といえば、決まっていた。 「…酔ったかも。」 みちるはくすっと笑った。普段みちるより先にはるかが酔っ払うことはまずないため、みちるはすぐにその発言は嘘と判断したらしかった。されるがまま、はるかに口付けさせておいて、みちるは穏やかに言った。 「はるかの方がお酒強いのに。もう何杯目?」 「5杯目。いつもより飲んでないのにな。…みちるは大丈夫?」 そうたずねてみたのは、今しがた口付けたみちるの肌が、少し熱っぽかったためだった。そして何となく、ほんのり桜色に色づいているように見えたためだった。部屋の照明を少し落としていても、その程度のことはわかる。多分、お風呂あがりのせいだけではないだろう。みちるもそのことを否定しなかった。 「大丈夫…。でも今日は、結構飲んだほうだわ。…美味しかったわ、さっき作ってくれたカクテル。」 返される、艶めいた微笑。そう、と言葉を返して、誘われるように唇を重ねる。カクテルの甘い味がして、吐息が漏れた。火照った頬も桜色に色づいた肌も、酒のせいだけではないことは明らかだった。普段は、石膏のように白くて透き通った肌をしているし、自分と違って度の過ぎた飲み方をすることもない。みちるも嘘を付いているかも知れないと、その時思った。 華奢な作りをした白い腕が、はるかの肩に回された。密着する体。人肌のあたたかさと、柔らかい二の腕から受ける圧迫感が心地よい。考えてみると、今日は一日中一緒にいたのに、キスしたのは今が初めてだった。こんなに長い時間を一緒に過ごすことは稀だったし、一緒にいてもセーラー戦士としての使命を遂行するために奔走していることがほとんどだった。お互いの気持ちを確かめ合うのも、そんな短い出会いの時間のうちの出来事。それを思い出すと、今日一日がどれだけ平穏だったのかが実感できた。自分の誕生日のときは、TV局にダイモーンが出現してお祝いどころではなかった。来年も…。来年があるかどうかはわからないけれど、とりあえず今日という日が穏やかに過ぎていこうとしていることが嬉しかった。 優しく唇を押し当てるうちに、体温が少しずつ上がってきていることに気づく。キスだけではすぐに物足りなくなって、誘いをかける。 「続きはベッドで。…いいだろ?」 そんな言葉を言えるのは、はるか自身も酔っ払っている証拠だった。素面ではまず言えない科白だから。酒が、媚薬のように体に作用している。恥じらいを吹き飛ばして、自分の気持ちに素直になれている気がした。夜景はまたいつでも見れる。今日は特別な日。去年の今日とも来年の今日とも違う、一度きりの特別な日。体はもうかなり疲れていたが、みちるを欲しいと思う気持ちは全く萎える気配がなかった。 みちるもかなり疲れているはずだが、返事は明るかった。 「そうね。今日はありがとう。来年のはるかの誕生日は、私―――。 …、……。」 その先は言ってほしくなかった。Mermaid's Dreamの優しい甘さを、今一度味わう。唇をきちんと離して、一呼吸置いて目を合わせる。みちるの瞳は、自分と同じ深い闇が降りたものに変わっていた。そしてその闇の中には、艶めいた明りが灯っていた。 手を繋いで、そのままリビングを後にする。テーブルにケーキが置きっ放しになっていることに気づいてはいたが、そのままにしておくことに。食べるのは、明日でも良いだろうと思った。 窓外からの夜光が、明かりの消えたリビングを静かに照らす。あと7、8時間もすれば、海王星と天王星はまた空に昇る。たとえ月が先んじて空に昇っていても、他の星星と同じく夜明けとともに色褪せていく。…今夜の僕達は、彼女の思い通りにはならない。そう強く感じながら、ドアを開け、寝室へ抜ける。繋いだ手から伝わってくるぬくもりは、今の自分にとって唯一信じられるものだった。エアコンのスイッチを入れて、みちるの腰を抱き、そのままベッドに崩れ掛かる。 今はただ、みちるが欲しかった。 << 前編 Fin. |
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